簡単に得たものは簡単に失う
人にはそれぞれ使命が与えられていると言われます。
現実に人は個々に違った体験が与えられ、人格を形成し、それ相当の出来事が起こります。
これを宿命とか業などと言われることがあります。
日月神示では『めぐり』と言われます。
『めぐり』とは道であると私は感じています。
何の道かと言うと神への道、喜びへの道です。
一切の出来事はこの道に通じています。
辛いこと、苦しいこと、嫌なことも必要だから起こります。
全ては意識を内側に向けさせるため、気づきを与えるためです。
なぜ意識を内側に向ける必要があるのかと言うと、内側に向くことで元となる原因に気づくからです。
外側を向いている限り、原因にたどり着くことはなく、むしろ状況を悪化することにしかなりません。
これが苦しみが苦しみを生む、ということになります。
真剣に意識を内側に向け続けることが出来れば、苦しみをなくなすこと自体は簡単です。
ですが、そこに至るまでの理解や覚悟が出来るまでに時間も手数もかかるのが人間なんです。
私の師匠も『死ぬ気で学んでも基礎の基礎が出来るまで3年、全体像が見えてくるまで5年、完成まで最低7年はかかる』と言っていました。
これは実際に実践を続けてきた人なら共感できると思います。
なぜなら物事は常に一歩一歩にしか進まないということを体験的に知っているからです。
体験的に知ることが学びで、これだけが血となり骨となる価値あるものです。
逆に体験を経ずに得たものは簡単に失う、価値のないものです。
古来より『苦労は買ってでもしろ』と言われるのにもちゃんと理由があるんです。
本当に必要なものを得たかったら手間暇、時間をかけなくては不可能なんです。
だから今できる一歩を大事にし続けて下さい。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【黄金の巻 13帖】
神示はちっとも違わん。
違うと思うことあったら己の心顧みよ。
その心曇っているのであるぞ。
めぐりあるだけ神がうらめしくなるぞ。
めぐり無くなれば神が有り難いのぢゃ。
人間無くて神ばかりでは、この世のことは出来はせんぞ。
神が人間になって働くのぞ。わかりたか。
新しき神国が生まれるまでめぐりばかりがウヨウヨと、昔のしたことばかり恋しがっているが、そんなこと何時までも続かんぞ。
三年の苦しみ、五年もがき、七年でやっと気のつく人民多いぞ。
皆仲よう相談し合って力合わせて進め進め。弥栄えるぞ。
二つに分かれるぞ。三つに分かれるぞ。
分かれて元の鞘に納まる仕組。結構結構。
理解大切。理解結構。
思考しなければこれからは何も出来んぞ。
拝み合うことは理解し合うことぞ。
手合わせて拝むばかりでは何もわかりはせんぞ。
何故に心の手合わせんのぢゃ。
心の手とは左行く心の手と右行く心の手と和すことぢゃ。
サトルことぢゃ。
苦しんで苦しんで苦しみぬいて得たことは楽に得たことぢゃ。
その楽に得たことのみ自分の身につくのぢゃ。
血ぢゃ。肉ぢゃ。