結果は存在しない
結果こそが全てだ、という言葉を耳にすることがあります。
確かに結果は大事ですが、結果に至る過程も同じくらい大事にする必要があります。
なぜなら原因と結果は一致するからです。
仮に欲しい結果だけを得ようとするならば、過程を無視することになります。
過程を無視して結果を得るには他人の成果を盗んだり、嘘で塗る固めて結果を捏造するなど、無理や無茶をする必要があります。
当然、これでは原因が結果と一致しません。
故に望んだ結果とはならず、行いに即した結果を受け取ることになります。
過程相応の結果が出るようになっているのが、この世界の法則です。
法則は神がつくったもの故に神にも曲げられません。
だから一歩一歩の過程が大事なんです。
もっと言うと結果など存在しません。
結果と思ったものは次の瞬間、結果でなくなります。
今は常に移り変わっており、結果はすぐに次の結果の原因になるからです。
結果とは過去です。
しかし、現実的にあるのは現在の今だけです。
今である以上、常に過程なんです。
ただ結果があるとすれば、それは先がない時です。
結果のことはお墓に入った後でゆっくり考えればいいんです。
生きている以上、まだまだ先があります。
生きているうちは過程だということを忘れないで下さい。
以下はある質問者に対する師匠の回答です。
【師匠の教え】
この世に結果と言うものはないんだ。
いつも過程なんです。
この間も話したが花の種を植えてすぐに花が咲かなかったら種を植えたのは失敗だったんだろうか?
種を植えて花が咲くには咲く時期があるんです。
話を聞いているとすぐに結論に行くがチベットも過程なんです。
結論を出せるとしたらそれは世界が終わった時なんです。
終わっていない以上まだ過程なんですよ。
結論とは終わりを意味するから死を意味するんです。
世界は今どうであれまだ過程です。
ボールに上下と書いて坂から転がした。
このボールが上と下どちらが上に来るか分かるのはいつだろう?
ボールが転がっている間は上になったり下になったりして転がり続けている。
ボールが転がり続けている間が結果と言えるだろうか?
ボールが止まって始めて結果と言えるでしょう。
終わって始めて結果と言えるんです。
今の世界は終わっているだろうか?
それが苦しみの原因だ。
すぐに結論を出したがる。
道元さんや空海さんはグルに出会って僅かな期間で至っているね。
これはどんな方法でも教えでも同じで、グルに出会って僅かな期間で至った者たちはグルに出会う前に準備が整っていたんであって、グルに教えを請うても一生悟りに至らない人がほとんどなんです。
教えや方法が問題ではないんです。
花が咲くのに時期があるように悟るのにも人それぞれに時期があるんです。
だから私はこうして準備しているんです。
すぐに結論を出す人には悟りは来ないんです。
待つと言う姿勢が極まった時に悟りは来るんです。
ダライ・ラマは「日本に原爆が落とされたことについてどう思います?」と質問された時、「結果はまだ分かりません、もっと長い目で見てください」と答えました。
法を知る者は今の現状を結果とは思わないんです。
ある人がお金を拾って大喜びしてました。
あまり喜びし過ぎて階段を踏み外して転んで足の骨を折りました。
この人は骨折の次の日に生まれて初めての飛行機で旅行に行く予定でしたが骨折で旅行に行けなくがっかりしてたら、ニュースで自分が乗る予定の飛行機が墜落したと知りました。
今度は私は運が良い骨折は神が与えてくれたんだと大喜びです。
このようなことを一生涯続けているのが人なんです。
一々悲しんだり、喜んだり、また悲しんだり、怒ったりし最後には全てを失い死を迎えるんです。
結果とは終わりを意味します。
途中に結果はないからです。
途中は過程で最後が結果です。
だから人の結果は死ぬことなんです。
人が死ぬまでに色んな事が起きるだろう。
それに一々、右往左往して死んで行くのが人と言うものです。
すぐに結論を出さないと言うことを覚えてごらん。
そこに決定的問題があり、それが解決されないと学んでも無理なんです。
逆向きになっているからで、逆立ちして歩くようなものなんです。
教えの一番大事なところが逆さまになっているんです。