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世界が人をつくっている

近年、コンプライアンスという言葉が多く見受けられるようになりました。

法令遵守という意味だそうですが、それだけにとどまらず倫理観、公序良俗などの社会的な規範に従い公正、公平な行動も求められています。

主に企業に対してのものですが、ほとんどの方は会社や組織で働いている、または働くことになるので全ての人に求められるものと言えます。

こういったものが求められるようになった背景には人の意識変化もありますが、もっと大事なのはこういったものが当たり前に守られてないという現実があります。

なぜ守られなくなってきたのかというと、個人主義(我善し)の考えが強くなってきたからだと言われます。

特に戦後に行われてきた個人主義教育の影響は大きいようです。

成績や肩書、収入や財産、学校や会社のランク、住んでいる場所などで優位に立とう、マウントを取ろうとすることは典型的な個人主義の現れと言えます。

個人主義とは自己中心、自分本位、自分のことだけという我善しの生き方です。

この生き方は周りとの調和を乱すだけで、争いにしかなりません。

争いは勝ち負けの世界です。

己が勝つことが全てのため、相手を打ち負かさなくてはなりません。

そのためには規則や倫理、道徳など邪魔にしかなりません。

場合によっては家族や友人までも邪魔ものになるんです。

故に調和を乱すため、いつまでたっても幸福になれないんです。

ですが誰も我善しになろうと生まれてくるわけではありません。

世界が、体験が人をつくります。

我善しの生き方を強いられる世界に身を置けば、我善しにしかならないのは当然です。

このような人間が増えるとどうなるかは、現在の世界が証明しています。

現在の世界が大変危険な状態であることは皆さんも承知していると思います。

世界が人をつくっているなら、世界を変えれば人も変えられます。

個人で学び、個人で悟りに至ることも大事ですが、それでは間に合わないから世界を変える必要があるんです。

世界は危険な状態でありますが、それは同時に変革の機会でもあります。

いろんな予言でも言われている終末が訪れようとしています。

今までの生き方が、我善しの世が終わるんです。

以下は日月神示の一文です。

日月神示
【黄金の巻 31帖】
人民それぞれに用意してくれよ。
自分出しては集団(まどい)こわすぞ。
力出んぞ。早うつくれよ。
的(まと)とせよ、と申してあろうがな。マトは光の射(さ)し入るところ、的として月一度出せよ。
自分の小さいこと知れる者は、神の国に近づいたのであるぞ。


【黄金の巻 90帖】
世界中がいくら集まって、善き世にいたす相談いたしても、肝腎の・がわからんから、まとまりつかん。
だれ一人、悪いわがままの癖持たん人間ないぞ。
その癖直して行くのが、皮むくことぢゃ。改心ぢゃ。
弥栄行くことぢゃ。
金持つと金の地獄に、理窟持つと理窟の地獄に、神に捉われると神の地獄に落ちて苦しむぞ。
持たねばならんし、中々ぢゃなあ。
まず求めよ、求めねばならん。
まず捨てて求めよ、求めて行ぜよ。


【春の巻 35帖】
念じつつやれ。
神の為と念じつつやれば神の為となる。
小さい行為でも霊的には大きはたらきするのぢゃ。
自分ということが強くなるから発展ないのぢゃ。
行き止まるのぢゃ。
我れ善しとなるのぢゃ。
調和が神の現われであるぞ。
霊と調和せよ。
肉体と調和せよ。
人と調和せよ。
食物、住居と調和せよ。
世界と調和せよ。
嬉し嬉しぞ。
一生かかってもよいぞ。
遅くないのぢゃ。
自分の中のケダモノのため直しにかからねばならん。
悪いクセ直さねばならん。
これが第一歩、土台ぢゃぞよ。


【五葉之巻 3帖】
友つくれと申してあろうが、友と申しても人間ばかりでないぞ、山も友ぞ、川も友ぞ、動植物も友ぞ。
一人の友を得たら一つの世界を得たことぞ、何もかも皆友ぢゃ、友は己ぢゃ、皆己となれば己なくなるぞ、己なくなれば永遠に生きられる、無限の己となるぞ。
御神前で拝むもよいなれど、空を拝めよ、山も川も拝めよ、野菜拝めば野菜が、魚を拝めば魚が神となり、また己となるのぢゃ。
足らぬことない細矛千足(くわしほこちたる)の浦安の自分となるのであるぞ。


【月光の巻 51帖】
世界を一つにするのであるから、王は一人ぢゃ。
動きは二つとなるなれど、二つでないと動かんのぢゃ。
キはキの動き、ミはミの動き、動いて和すのぢゃぞ。
和すから弥栄ぢゃ。
和せば一つぢゃぞ。
キミとなるのぢゃ。
そなたは自分と他との境界をつくっているなれど、境界つくってはならんぞ。
境界つくらずに、自ずからなる自他の別を生み出さねばならんぞ。
世界一家のやり方間違えて御座るぞ。
それぞれの言の葉はあれど、ミコトは一つと申して知らしてあろうがな。
大難は小難にすること出来るのであるが、無くすることは出来んぞ。
不足は不足生むぞ。そなたは口を慎めよ。
そなたは一度神を捨てよ。
神にしがみついているから、小さい囚われた、ゆとりのない神を、そなたがつくり上げているぞ。
信ずれば信ずるほど危ないぞ。
大空に向かって大きく呼吸し、今までの神を捨てて心の洗濯をせよ。
神を信じつつ迷信に落ちていると申してあること、よく心得よ。


【月光の巻 54帖】
頭を下げて見なされ、流れて来るぞ。
頭も下げず低くならんでいては流れては来ないぞ。
神の恵みは淡々とした水のようなものぞ。
そなたは頭が高いぞ。
天狗ぞ。
その鼻曲げて自分のにおいを嗅いで見るがよい。
そなたは左に傾いているぞ。
左を見なければならんが、片寄って歩いてはならんぞ。
そなたは右を歩きながら、それを中道と思って御座るぞ。
そなたは平面上を行っているから、中道のつもりで、他に中行く道はないと信じているが、それでは足らんのう。
立体の道を早う悟りなされよ。
正中の大道あるのであるぞ。
左もなく右でもなく、嬉し嬉しの道あるぞ。
左も右も上も下も相対の結果の世界ぢゃ。
原因の世界に入らねばならん。
平面より見れば相対あるなれど、立体に入りさらに複立体、複々立体、立立体の世界を知らねばならんぞ。
相対では争いぢゃ。
戦ぢゃ。
真の世界平和は今のやり方考え方では成就せんぞ。
三千世界和平から出発せねばならんぞ。
そなたは神示をよく読んでいるが、それだけでは足らん。
神示を肚に入れねばならん。
付け焼刃ではならん。
神示を血として生活すれば、何事も思う通りスラリスラリと面白いほど栄えてくるぞ。
思うように運ばなかったら省みよ。
己が己に騙されて、己のためのみに為していることに気づかんのか。
それが善であっても、己のためのみならば死し、全のための善ならば弥栄えるぞ。善にも外道の善あるぞ。
心せよ。
神示見て居らぬとビックリが出てくるぞ。
この世始まってないことが出てくるのぢゃ、世界の片端浜辺からぞ。
わかりたか。
そなたは神体を偶像と申して御座るが、それはそなた自身が偶像なるが故であるぞ。
礼拝を忘れ、祈りを忘れることは神を忘れることぢゃ。
そなたの住む段階では、祈り畏(かしこ)み謹んで実践しなければならんぞ。
拝まんでも拝んでいる境地はなかなかぢゃなあ。
そなたは我が助かろうとするから助からんのぢゃ。
世界はこの世ばかりではないことを、よく得心して下されよ。
我をすてて素直になされよ。
三千年の秋(とき)が来ているのであるぞ。