感謝しかない
私達は1人の力で生きているのではありません。
生きるためには多くのものの命を頂かなくてはなりません。
水も酸素も頂かなくてはなりません。
そして。皆さんの周りを見渡してみて下さい。
目にするもの一切は直接的、間接的に多くの人、ものの関わりがあって生まれたものです。
物、知識、技術など実に様々なものがあります。
それらの恩恵を受けて生きているのが皆さんです。
このことからも人は1人で生きていないというのがわかると思います。
多くのものの助けで生かされていると言った方が良いかもしれません。
生かされているという事実からも感謝の気持ちが生まれないでしょうか?
私の師匠は『一切に感謝しなさい』と教えてくれました。
感謝すべき状況にあるのに感謝していないから、そう言われたのだと今なら思います。
この感謝の気持ちが自然と溢れ出すようになるためには、如何に自分が多くの影響によって生かされているかを知ることです。
それらを追求していくと感謝しかないと気づくようになります。
仮に望まないことが起こったとしても、感謝するんです。
それは神が生き方の間違いを指摘しているだけなんです。
何も起こらなければ人は間違いにすら気が付けないんです。
だから何が起こっても感謝なんです。
一切に感謝なんです。
感謝で生きる者には感謝が訪れます。
なぜなら原因と結果は繋がっている故に感謝には感謝しか生まれないんです。
感謝とは喜びです。
喜びとは神心そのものです。
神心で生きることが、神を信じることになります。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【風の巻 1帖】
用意なされよ。
いよいよざぞ、いよいよくるぞ。
⦿(かみ)の御言知らすぞ、知らすぞ。
眼覚めたら起き上がるのざぞ。
起きたらその日の命頂いたのざぞ。
感謝せよ、大親に感謝、親に感謝せよ、感謝すればその日の仕事与えられるぞ。
仕事とは嘉事であるぞ、持ち切れぬほどの仕事与えられるぞ。
仕事は命ざぞ。
仕事喜んで仕え奉れ。
我出すと曇り出るぞ。
曇ると仕事わからなくなるぞ。
腹減ったら食(お)せよ。
二分は大親に、臣民腹八分でよいぞ。
人民食べるだけは与えてるぞ。
貪るから足らなくなるのざぞ。
減らんのに食べるでないぞ。
食せよ、食せよ、一日一度からやり直せよ、ほんのしばらくでよいぞ。
⦿の道、無理ないと申してあろうが。
水流れるように楽し楽しで暮らせるのざぞ、
どんな時、どんな所でも楽に暮らせるのざぞ。
穴埋めるでないぞ、穴要るのざぞ。
苦しいという声この方嫌いぞ。
苦と楽、共に見てよ、苦の動くのが楽ざぞ。
生まれ赤児見よ、子見よ、⦿は親であるから人民護っているのざぞ。
大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦楽しめよ、楽しいものざぞ。
眠くなったら眠れよ、それが⦿の道ぞ。
⦿のコト聞く道ざぞ。
無理することは曲がることざぞ。
無理と申して我が儘無理でないぞ、逆行くこと無理と申すのざ。
無理することは曲がることぞ、曲がっては⦿の御言聞こえんぞ。
素直になれ。
火降るぞ。
相手七と出たら三と受けよ、四と出たら六とつぐなえよ、九と出たら一と受けよ、二と出たら八と足して、それぞれに十となるように和せよ。
まつりの一つの道ざぞ。
【春の巻 34帖】
自分は自分の意志で生まれたのではないのぢゃ。
その時、その環境を無視出来ん。
その法則に従わねばならん。
草を拝めば草が神となり、機械拝めば機械が神ぢゃ。
食物拝めば食物が神となる。
心せよ。
神は人民を根本から永遠の意味でよくしようと、マコトの喜び与えようとしているのぢゃ。
局部的、瞬間的に見てわからんこと多いぞ。
おかげは、すぐにはないものと思え。
すぐのおかげは下級霊。
眉に唾せよ、考えよ。
現在の環境を甘受せよと申してあるが、甘受だけでは足らん。
それに感謝せよ。
積極的に感謝し、天地の恩に報じなければならん。
誠の真理を知らぬ人間に神はわからん。
【月光の巻 31帖】
足の裏を綺麗に掃除なされよ。
外から見えん所が穢れているぞ。
日本の国よ、そなたも同様、世界よ、そなたも同様ぞ。
出雲の神の社をかえて竜宮の乙姫様のお社を陸につくらねば、これからの世の動きとれんことになるぞ。
一切が自分であるぞということは例えでないぞ。
そなたは、食物は自分でないと思うているが、食べるとすぐ自分となるでないか。
空気も同様、水も同様ぞ。
火も同様、大空もそなたぞ。
山も川も野も海も、植物も動物も同様ぞ。
人間は横の自分ぞ。
神は縦の自分ぞ、自分を見極めねばならん。
自分をおろそかにしてはならん。
一切を受け入れねばならんぞ。
一切に向かって感謝しなければならんと申してあろうが。