悪も神の働き
自分にとって嫌なもの、厄介なものを人は悪と認識します。
悪的ものとは出来れば無縁でいたいのが人情ですが、そう思い通りにならないのが人生です。
なぜなら神はそういった人が避けたくなるようなものほど人に差し向けようとするからです。
私が学びの過程において、前よりも良くなったと感じたことがありました。
しかし、その度に悪的なことが起こり、自身の心の動揺に気づかされることが何度もありました。
まだ修行が完成していないのに、もう完成したと勘違いさせないための神の計らいです。
これはほんの一例ですが、神はあらゆる手段を使って人に気づきを与えます。
この気づきの機会は誰もが平等に与えられています。
ただ必要な時に与えられる故に、与えられた時は感謝をもって接しなければなりません。
悪的ことが与えられるのも元をたどれば内側が外側に現れるため、自業自得といえます。
ですがそれは神が与えた喜びへの道であるということを忘れないで下さい。
以下は日月神示の一文です。
日月神示
【天の巻 12帖】
尊ぶこと今の臣民忘れているぞ、⦿(かみ)ばかり拝んでも何もならんぞ、何もかも尊べば何もかも味方ぞ、敵尊べば敵が敵でなくなるのぞ
【キの巻 17帖】
すり鉢に入れてコネ廻しているのざから、一人逃れようとて逃れること出来んのざぞ、逃れようとするのは我れ善しざぞ、今の仕事、五人分も十人分も精出せと申してあろうがな、急ぐでないぞ、その御用済みたら次の御用にかからすのざから、この世の悪も善も皆御用と申してあろが。
身魂相当の御用致しているのざぞ。
【風の巻 6帖】
この道開くに急いではならんぞ、無理して下さるなよ、
無理急ぐと仕組み壊れるぞ。
まだまだ敵出てくるなれど、⦿心になれば敵、敵でなくなるぞ、
敵憎みてはならんぞ、敵も⦿の働きぞ。