6.ある朝、目覚めると、iPhoneに神さまからのメッセージ。
「遺跡を調べるとね。
どんな文明にも、一番最初に作られた場所があることがわかる。
どんな文明にも共通している場所。
それは、祈りの場所である。」
ドキュメンタリー映画「1/4の奇跡〜本当のことだから〜」にて、
南米 ペルーのリマにある天野博物館の理事をされている阪根 博さんが、
お話された言葉。
昨日、私の部屋にも、マイ祭壇があるよ。
と書いたのだけれどね。
私は数年前に、生きていた中で少しずつ身に纏ってきた覆いや、鎧や、壁や、、、
さまざまなものが一気に崩壊したことがありました。
2016年6月、夏至付近のこと。
そうしたら、なーんにも、どこにも、力がはいらなくなっちゃって。
体感としては、腰骨も背骨もなくなっちゃったかのようで。
家族や、まわりの愛すべき存在に見守って支えてもらいながら、
少しずつ、ふたたび勾玉様の形から命をはじめているような感じ。
引越しをして、インドのファミリーや、インドネシアのファミリー、
<祈る人びと>の交流が始まったのと、
鎧が崩壊して、マイ祭壇を設えて、
私自身が<祈る時間>を持つようになったのは、同じ時期でした。
そのとき感じたこと。
何かにすがるとか、
こうなりたい!とか、
神さま、仏さま、お助けあれー!って
お願いできるのは、すごく力があるからできること。
鎧が大きな物音を立てて壊れた後は、
もう、力が入らない。
きっと、余計な力をたくさん使っていたのでしょうね。
自分を守るために。
誰かをまもるために。
鎧も、たしかに私を守ってくれていたありがたい存在。
でも、もう、いらなくなった。
そして、
私が最初に作ったものは
<祈りの場>でした。
あらゆる時代、あらゆる文明のなかで、
人びとが、最初に作った場所が、
<祈りの場>であったこと。
<祈り>は、人間の中にもともとあるもの。
祈りとは、
本当の自分自身とつながる時間であることを、
昔の人は体感でわかっていたのだろうな。
マイ祭壇を設えて、
ティンシャを鳴らし、
蜜蝋キャンドルに火を灯し、
般若心経や祝詞をとなえる時間。
片手に般若心経のお経本を持って、もう一つの手をお祈りの形にしていると、
ちいさな息子が、私の手のひらに、自分の手のひらを合わせてくれて、
大きな手のひらと、ちいさな手のひらを合わせて
お祈りしていた、愛しい日々。
何かを欲する力もなく、
何かに期待する力もなく、
ただ、ただ、今、この瞬間に
感謝することしかできなかった。
そうして、
今、ここにいる<私自身と繋がる時間>を重ねる中で、
少しずつ、少しずつ、勾玉の形から背骨が形成されて、
細胞分裂が進んで、頭部と、手足ができて、
心臓がトクトクと、しずかに、たしかに脈うって、
いよいよ二足歩行ができたころ。
中秋の名月。
インドやインドネシアや、
いろいろな神さまを信じている<祈る人びと>と宴をひらく。
そうしたらね。
数日後、びっくりすることが起きたのです。
朝、カーテンの隙間からこぼれる朝陽を感じて、
今、何時だろう。
携帯をひらいてみたら、
最初に、出てきたのが、この画面。
んん?
え?
寝ぼけ眼で、もう一度目をこらします。
天河大弁財天社!
天河さんまでの車でのルートと時間。
夢と現実の境目にいた私は、飛び起きました。
ああ、ああ、
天河さんに行ってきなさいって、
言ってもらっているのだなあ。。。
鳥肌が立って、泣きそうになりました。
数年前から行ってみたいなって思っていたのです。
確かに検索もしたことがあります。
でも、それは、思いだせないくらい前のこと。半年以上も前のこと。
前日の夜に、携帯のマップをいじったわけでもなく、
目覚めた朝も、時間を調べるために、ひらいただけ。
神様って、宇宙って、
なんて、なんて、わかりやすく、
粋なサインを教えてくれるのでしょう。。。泣
そして。
その神さまからのサインは、
2ヶ月後に、実行にうつされます。
続きは、また明日。
今日も読んでくださり、ありがとうございます。
愛しい日々を。
咲多美唯喜