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『エッセイの書き方』

エッセイの構造とはこんなものである。

1,起こった物事について書く。
2,それについて自分がどう思ったかを書く。
3,解決に向けて自分がどう実行していくかを書く。

エッセイの構造。

一番大事なのは、3の「解決に向けて自分がどう実行してくか」、という部分だ。よくあるエッセイの末尾はこうだ。

1,私達はそれに向かってなにかしなければならないのである。
2,その気付きによってきっと我々にもできることが見付かる筈である。
3,それらの事実によればそれがいかに大切なのかよく分かる筈である。
4,我々はまだ非力であるけれども大切なのは日々解決に向かって努力するべきだということである。

よくあるエッセイの末尾。

3の「解決に向けて自分がどう実行していくかを書く」が完全に抜けている。新聞のコラムが代表的で、なんの意味も無い文章がずらずら並んでいる。新聞のコラムは、まずテーマに全く関係ない最近観た映画などについて語る。それからそのことがなにかを思い出させるということを語る。それからよくあるなんの解決にもならない御託で終わる。

エッセイで問題提起だけをしてはならない。具体的な目標を定めてなんらかの行動を起こすのがエッセイの役割だ。

海外の人が日本の映画の批評を書く時に、この映画にはなんの解決もない、と言う。悲しい出来事があってみんなで涙を流すけれども、それについてなんの努力も解決も無く終わる。

日本人には世の中を一生懸命に努力をして解決していこうという熱意が無い。例えば少子化の問題だけども(私は少子化と聞いて子供を少なくする政策だと思った。曖昧な言葉だ)、政府は子供のいる人に補助金を増額したりするけど、お金をちょっぴり貰えたとしても、託児所が足らない、幼稚園に入るのに抽選がある、社会が子育てに協力的ではない。職場への復帰が難しい。これらのことを全て解決した上でちょっぴり補助金を増額する。それが順序というもの。

先日最高裁判官の選挙が行われたけれども、自分が投票した裁判官のことをどれだけ知っているのか? 全員が再選されたというけれども、それは日本国の人達が、現状に満足して、問題に目をつぶっているからだ。司法によって容疑者に対する残忍な人権無視がされているのに、新しい最高裁判官を選ぶことを知らない。

それから、長くなるけど、数日前どこかの公園で男性が殴り殺されたけれども、逮捕されたのは二人の女子大生だった。女子大生にもこんなに凶暴な人がいるんだな、と驚いたけれども、この事件には複数の未成年男子も加わっているらしく、今まで四人が逮捕され、他にも数人関わった人がいるらしい。ここでなにが問題かというと、一人の人間を少なくとも六人で殴る蹴るをするのは、卑怯だ。大人数を相手に抵抗できない相手を死に至らせるほどの暴行を加え、全裸にした挙句、遺棄する。

抵抗できない一人の人間を複数で切り殺すのは、武士の世界では、卑怯だった。それについて思い出すのは、数年前吉祥寺のストリートを歩いていて、後ろからナイフで切り殺された若い女性のことである。後ろから襲うのも、武士の世界では、卑怯だった。

卑怯、という言葉について勉強をしないといいエッセイは書けない。大事なことだから忘れないで欲しい。



さて、ここからは文章についてである。エッセイの中にこのような文があると、読者の信頼と興味を失う。エッセイとして致命的だ。下の文に対してあなたはどう思うだろうか?

同じバイト先で働いていた。

文章について。

この文は、さっきの凶暴な女子大生について、ニュースのレポーターが語ったことである。この文をおかしいな、と思う人がどれだけいるだろうか。これはレポーターが言ったことだけど、書き言葉にしてもやっぱりおかしい。

この文を分析してみよう。まず、日本語の宿命である主語が抜けている。主語は二人の逮捕された女子大生である。「同じバイト先」という名詞が「働いていた」という過去動詞を修飾している。更に「同じ」という言葉が「バイト先」を修飾している。しかし同じバイト先が何処なのか言っていない。

同じバイト先で働いていた。

文の分析。

問題なのは「バイト」と「働く」の意味が近過ぎるということ。「バイト」という言葉は「バイトをする」など、動詞として使われることの方がずっと多い筈だ。近い言葉を並べるのはトートロジーで、読者の関心を失わせる。実際、トートロジーだらけの小説で素晴らしい文学作品を読んだことがあるけれども、その様な例は十年に一回だと思う。

私は「同じバイト先で働いていた」とは絶対書かないし、うっかり書いたとしても、あ、おかしいなと瞬時に気付いて直すと思う。エッセイも書いていくうちに絶対自分で気付く様になる。勉強すればする程上手くなっていく。私の小説の先生曰く、勉強して上手くなっていくことはあるけど、勉強して下手になることは絶対ない。

じゃあ、この「同じバイト先で働いていた」という文をどう直せばいいのだろう? 下の事実が分かっている。

二人は同じコンビニで働いていたことが判明している。
文の主語は二人の女子大生。

二人は同じコンビニで働いていた。
二人は同じコンビニで働く程仲が良かった。
そのコンビニで二人は一緒にバイトをしていた。
そのコンビニが二人の共通の職場だった。
バイト先も同じコンビニだった。

どう直すか?

なにせ、「バイト」という言葉と「働いていた」を同じ文の中に書かない。二つの文に分ける。

二人はバイト先も一緒だった。それは近くのコンビニだった。
二人が住んでいたのはxx町で、二人は職場も同じコンビニだった。
近くにコンビニがある。二人共そのコンビニで働いていた。

二つの文に分ける。

まあ、こんなところで止めておくけれども、最後に私が主にYouTubeのニュースから拾ったトートロジーを書いておく。これは随分長い時間を掛けて見付けたものだから、よく読んで勉強しよう。一つの文の中に二つ同じ漢字がくると、まず殆どがトートロジー。

冒頭で書いた「3,解決に向けて自分がどう実行していくかを書く」だけども、このエッセイでは実際に長い時間を掛けてエッセイを書いている皆様にトートロジーとはなにかを伝えていることである。

質問があったら送ってください。


実際の運用実態
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深淵は深い
自由に自己表現をする自由
価格が安価
事故に巻き込まれる事故
海外からの国際電話
酒を飲んで泥酔状態になる
街灯が無く薄暗い
同じバイト先で働く



私のYouTube、今日の一位。
253、『トパーズ』村上龍。誰も言わない感想と文章の分析。

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