坊主でもないけど、忙しい師走のクリスチャンのおばさんが1人、忙しさの中に「逃れの道」が示された話
note始めたこと自体に無理がある
結構間を空けてしまった。
そもそも、blog更新もできてないのは、書く時間的余裕がなかったからだ。
なのに、noteを始めるってこと自体に無理があるんだよ。ほんと。
クリスマスが今年もやってくる
さて。
クリスマスが今年もやってくる。
私はプロテスタントの福音派と言われるクリスチャンの端くれであり、そして、ゴスペルクワイアに所属しているので、クワイアのディレクターが出演依頼を受けて、OKを出せば都合がつく限りは出演する。
クリスチャンにとっては、クリスマスは御子イエス・キリストがご降誕された日をお祝いする日である。
そのクリスマスを待ち望む期間をアドベント(待降節)と呼ばれている。
アドベントでは、4本立てられている蝋燭を毎週日曜日の礼拝を献げるに当たって1週につき1本ずつ灯す蝋燭を増やしていく。
1週目は1本、2週目は2本、3週目は3本と灯される蝋燭が毎週増えていく。
そうして4本目の蝋燭が灯される日、それがクリスマス礼拝、アドベント第4主日(日曜日)に当たる。
くそ忙しいアドベントのスケジューリングの失敗
ゴスペルクワイアが呼ばれてライブ(或いはコンサート)に呼ばれて賛美(
歌う)のは、アドベントの期間が多い。
そして、教会は教会で、子供対象のクリスマス会やら、教会クリスマスコンサートやら、クリスマスイブの夕べやら、教会も関わっている子ども食堂のクリスマスやらと対外的な行事が多くなる。
特に、プロテスタントの教会は恐らく、クリスマス礼拝の後はクリスマス愛餐会(
この場合はクリスマス礼拝後のランチ会と考えてくれていい)を行うところが多いだろう。
ちなみに私の所属する教会の場合は、参加者におかずでも主食でもいいので1品お持ち寄りをお願いしている(用意できない人には強制はしない)。
とはいえ、教会員は流石に用意しないわけにはいかない。
どうしても調理が難しい人は、果物やらスイーツやらをみんなで分け合うことができるくらいのものを用意して提供してもいい。
でだ。
目下、私が困っているのは、クリスマス礼拝の愛餐会の持ち寄りをどうしたらいいんだろうかということだ。
普段の年なら、私は圧力鍋を活用した煮豚2kgを準備する。
愛餐会の前日、つまり土曜日に豚肩ブロック肉を購入した後、準備をするのである。
しかし。
今年はうっかりしていた。
昨年は出演を控えたゴスペルミニコンサートの出演をOKしてしまっていたのだ。
ミニコンサートは、夕方が本番なのだが、ちょっとだけ遠方なので恐らく往復で1時間今日はかかるはず。
しかも、自分で車の運転ができないので、ゴスペルクワイアメンバーの車に同乗させていただく予定だ。
早く帰って、煮豚を作りたい。
或いは、ミニコンサート出発ギリギリまで仕込みをしたい。
なんてのもなかなか難しそうな状況。
さらに私の煮豚と被る豚の角煮を用意するという若手メンバーも現れた。
豚肉料理が被ったところで誰も文句なぞ言わないのは分かっている。
メニュー変更するとしても、何を作るにしても手間暇はかかるであろう。
今こそ神様に本音をぶっちゃけろ!!
さて、そんな慌ただしい思いに支配されてしまって、何もかも投げ出せたらどんなにいいだろう……とまで思い詰めていたところで、クリスチャンは祈るわけである。
ぶっちゃける訳である。
神様に。
私の主である父なる神様、御子イエス様、そして共にいてくださる聖霊なる神様!
毎年クリスマスは忙しいですが、今年は自分自身のスケジューリングが悪かったとはいえ、いささか物理的に無謀です。
御子イエス様のご降誕を祝うための準備であり、あなたの愛を伝えるためのゴスペルを賛美するためにと、私を用いてくださろうとしてくださっていることは感謝します。
でも、やっぱり私には重荷に過ぎます。
どうしたらいいでしょうか?!
私をどうか助けてください!
主は意外な形で「逃れの道」を準備される
で。その後。
夫(クリスチャンではない)の服や靴を買いに、アウトレットモールへ同行した。
夫が希望するデニムのボトムやら靴やらを見繕って、購入した後、ふと、T-falのアウトレットショップの前まで来た。
私が煮豚を作ろうとしていた圧力鍋は、もともとは教会のバザーで入手した中古品で、すでにメーカーでも付属品も欠品しているくらいの古いものだった。
実際、いつ圧力鍋のパッキンが切れても不思議ではない。
そして、2kgの豚肉を使った煮豚をやるには、少し、いやギリギリの要領ではあった。
T-falのアウトレットショップを冷やかすたびに、欲しいなぁと思っていた圧力鍋。
いつもなら夫から反対されるのだが、彼も欲しいものを手に入れていたせいか、「仕方ないな」と、T-falの圧力鍋の購入にOKしてくれたのである……!
おお! 主よ!
圧力鍋は6.2Lなので、今の圧力鍋よりも容量も大きい。
煮豚の材料を仕入れる時間と作る時間の捻出の問題は残ったままだが、新しい圧力鍋を使って、煮豚を作ってみたい! というモチベーションは奇しくも与えられたわけだ。
というわけで、クリスチャンの日常というものは祈りを通じて、想定外の形で悩みの解決が導かれるのである。
これはとても些細な例だけども。
ウチの牧師先生は、のちの姑になるクリスチャンの女性から「Mくん。神様っていいわよ」と言われたことがあるそうだが。
確かに、「神様っていいわよ」という言葉には真理がある。
人生は困難だし、面倒臭いことに満ちている。
だけど、その困難と面倒臭さに立ち向かうのは私ひとりって訳じゃない。
そこに神様が意外な「逃れの道」を備えてくださり、私の「重荷」を軽くしてくださるのだ。
あとは、馬鹿正直に本音の思いを神様にぶっちゃけて祈っていくこと。
困難さや面倒臭さを見つめ過ぎることなく、そこで、神様を見上げるというスタンスを忘れなければ。
求める者に、神様は与えてくださるのである。御心のままに。