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芝生まみれの詐欺(?)被害者O
大学に入って1年目の頃、あろうことか体育の単位を落としてしまった。
試験も課題もなく、いつも楽しくスポーツをやるだけのリフレッシュ枠で、
公式ルールで試合をやる最終回に参加してさえいれば単位認定!というゆるい内容だったにもかかわらず、単位をとれなかった。
スケジュール管理を失敗して、肝心の試合の回をすっぽかしてしまっていた。
今になって考えても、単位を落とした理由としてこれ以上に情けないものはないと思う。
必修科目で単位を落とすと、翌年に補講として全く同じ内容を受講することになる。
そんなところに集まってくるような連中は、自分も含めて碌な学生ではなかった。
普通にサボって飲み歩いていたせいで単位を落としたという、補講が似合いすぎる見た目の金髪や、
体育会に入っているのに威張るどころか萎縮していて、いつも大きな身体を縮こまらせて座っていた根暗なスポーツマンなどと一緒に体を動かすことになった。
中には、「国家資格の勉強を頑張りすぎて体育にまで時間を回す余裕がなかった」というただただ真面目な青年もいて、
彼とだけは体育終わりに2人で学食を食べに行ったりもした。
この顔ぶれに混ざるにしてはあまりに真っ当だった彼は、
普段の授業では中々出くわさない強烈な個性の応酬に、相当参っていたようだった。
そんな変人の巣窟だった体育の補講の中でも特に変わり者だったのが、
最終的に連絡先の名前を「詐欺被害者」で登録することになった、Oという男だった。
彼について知る中で、変人ポイントが山ほど見つかりすぎて、それ以上深掘りすることを躊躇ってしまった結果、割とあっさり疎遠になってしまった。
そんな彼のエキセントリックな日常を、短い付き合いの中で少しだけ垣間見たことがあった。
§
講師から「運動しやすい格好で」という指示を受けていたため、ほとんどの人が私服とは別にスポーツ用の服を持参する中、
彼はいつも同じ真っ黒のスウェットの上下を着て現れ、そのまま着替えずに運動をしていた。
それを見る度、部屋着のままで無理やり部活に放り込まれた人みたいだなと思っていた。
1000円カットで切ったのであろう、くしゃくしゃの天然パーマがいつもあちこち跳ねていた。
髭の手入れと管理が甘く、大人になりかける時に生えてくる、細くて密度も薄い毛が伸び放題になっていた。
流行りの型からかけ離れたフレームのメガネをかけていて、いつもレンズが少し汚れていた。
このように、あまり仲良くなろうは思えないタイプの身だしなみを常時キープしている人ではあったものの、
話しかけるといつも想像の斜め上の答えが返ってくるのが面白くて、授業中はずっと一緒にいた。
運動がめちゃくちゃ下手で、アルティメットというフリスビーを使った知らないスポーツをした時は、
扱いに慣れるために課された「フリスビーを的に当てた人から休憩」というメニューで、
女子を含む全メンバーの誰よりも的を外し続け、1番最後まで残されていた。
休憩しながら、みんなで応援と野次の合の子みたいな声援を飛ばすのが楽しかった。
ほとんど面識もない大学生たちが、彼の下手すぎる的当てを一体となって見守っていた。
最終的にぐちゃぐちゃのフォームで滑り込みながら投げた、ヘロヘロのフリスビーが的のカラーコーンにかすったのを見て、見かねた先生が休憩させてあげていた。
黒のスウェットを芝まみれにして、メガネを曇らせ、へにゃへにゃした敗者の笑顔を浮かべて休憩場所に駆けてくる彼は、
その日参加していた大学生全員からナメられていて、それ以上に輝いていた。
そのアルティメットの授業があった次の日、大学から少し離れた乗り換え駅の改札広場で彼とバッタリ遭遇した。
人混みの中でも浮くくらいどんよりした空気を纏っていたので、なんとなく目が向いてしまった。
体育の時と全く同じスウェットを着ていたのですぐにOだと気付き、何があったらそんな雰囲気が滲み出てしまうようになるのか、軽く話を聞くことにした。
なんでも、17歳の彼女(!?)に懇願されてクレジットカードを貸してしまい、その後まんまと音信不通になったとのことだった。
明らかに碌な相手ではないし、向こうが本当彼氏にするつもりだったとは思えない。
これ聞いた時に、自分の中で彼に対する警戒レベルが1段階上昇して、今後の付き合い方を考えようと思った。
今になってみると、こういう付き合う相手を選ぶ技能を身につけるのも大学で必要な学びだったのかなと思う。
そうじゃなきゃ、あんなに知らない人と次々出会わなきゃいけないシステムにしないよなと思った。
その後、彼女の家まで行ってなんとかカードは取り返したものの、既に使い込まれていてどうにもならなかったらしい。
十数万円の支払いなんて大学生にはもちろん不可能なため、藁にもすがる思いで弁護士に相談しようとわざわざ隣町まで来てみても、
「盗まれたということならまだしも、自分からカードを渡したならどうしようもない」とあっさり匙を投げられて途方に暮れてしまった。
そして、そのままとぼとぼ歩いてきたところで私と遭遇した、ということらしかった。
軽い気持ちで話を聞いたら、想像もつかない角度からパンチが飛んできたような感覚だった。
本来なら当然めちゃくちゃ心配してあげなければいけないところだったのに、
エピソードが彼の幸薄そうな雰囲気にマッチしすぎていて、膝から崩れ落ちて爆笑してしまった。
いくら関係性が薄かったとはいえ、今思うとありえない人でなしだったと思う。
かなり人生のハイライトになりそうな大きめの不幸体験が現在進行形で発生している相手に対して、心配より先に爆笑が来るのはひどすぎる。
彼のズボンには、前の日の体育で転んだ時の芝がそのままびっしりと付着していた。
そういえばアルティメットの時も露骨に顔色が悪く、
どうしたのか聞いたら「前日の晩にストロングゼロを山ほど飲んだから二日酔いがしんどい」などと言っていたことを思い出した。
人生で初めて、点と点が繋がったような感覚に襲われた。
こんなことがあったら、その日の夜はそりゃ限界まで飲むよなと思った。
洗いざらいぶちまけた相手に爆笑されて何を思ったのか、Oの顔にも普段のようなへにゃついた笑顔が戻り、調子っぱずれな返答にもキレが出てくるようになった。
話が面白くて爆笑してしまっただけなのに、なんとなく励ました時のような空気感が流れ始めたあたりで、自分がデートに向かう途中だったことを思い出して別れることになった。
たまらずその場でLINEを交換し、別れた後に適当なスタンプを送ると、
電車の中で撮ったらしい中指を立てた左手のブレた写真が届いて、また笑った。
アカウント名がアルファベット1文字に設定されていて分かりにくかったので、彼の登録名を電車の中で「詐欺被害者O」に書き換えた。
おそらく当時、彼が食らったのがどんな部類の犯罪なのかよく分からなかったので、安直に詐欺でまとめることにしたんだろうと思う。
どうにか待ち合わせの時間にも間に合って、挨拶もそこそこに早速女の子に彼の話を聞かせた。
デートの立ち上がり、場の空気を温めるのに大いに役立ってもらった。
上映開始までの「映画楽しみだね」以外に言うことがない微妙な時間をうまく埋めてくれた彼に感謝した。
彼に少しでも明るくなってほしくて、デートで彼の話が盛り上がっている旨を伝えると、今度は絵文字で中指が届いた。
2回目の中指はちょっと本気な気がしたので、流石にそれは女の子に見せないことにした。
そこからは、どうにか彼のことを頭から追い出し、楽しく新海誠の映画かなにかを見た。
序盤の展開が緩い説明パートの時間帯には、何度も彼のことが頭をよぎった。
女子高生の上京物語よりもよっぽど非日常的な現実が、スクリーンの外にあった。
それでも、展開がファンタジー全開の壮大なものになるにつれて詐欺被害者は力負けしていき、後半から徐々に思い出さなくなっていった
後から聞いたら、女の子の方も映画の途中で何度か彼のことが浮かんで邪魔だったらしい。
ベローチェで2時間くらい感想戦をした後、
食事をして女の子と別れた頃には、彼のことなんてほとんど頭になかった。
§
その日以来思い出すこともなかった記憶が、今になってたまたま蘇ってきたものの、
これを機にもう一度Oと連絡をとってみようとは思わなかった。
彼が今どんな生活をしているのか、どんな顔をして生活しているのか、それに興味がないと言ったら嘘になる。
それでも、あの日に上げた警戒レベルのことまで一緒に思い出した以上、とてもそんな気にはなれない。