「歩く」ことで自分が「傾いている」ことに気づいた
「和の歩法」
最近人気の大島ケンスケさんのショート動画はこちら↓
「歩く」という行為の個人的な遍歴
私のなかで「歩く」という行為は、長年「単なる移動手段」でしかなかった。
「単なる移動手段」はなるべく短く済ませたいから、可能であれば近場でも自転車移動が当たり前だった。
タイパ重視である。
だが、歩くことが苦手なわけではない。
私は標高300m弱の山の麓で育った。そして通っていた小学校は登山口の真横にあった。
実家は海抜0mのところにあるので、登校は坂道をてくてくと10分くらい登る。下校はその逆。
春の遠足は登山一択(笑)
それ以外に年中行事で「山の清掃活動」なんかもあったので、1年に何度か山登りをしていた。
中学校は自宅から2km弱離れた場所にあった。
自転車通学が許される「自宅から学校まで2km以上」という基準にギリギリアウトだったので、通学は片道20分の道のりを歩いていた。
ついでのことに、中学時代は運動部で「星飛雄馬(ほしひゅうま)」並みに鍛えられていたので(笑)、おかげさまで足腰はまあまあ強くなったと思う。
高校以降は特に運動はしていないが、「昔取った杵柄」とはよくいったもので、それ以降の人生で歩いたり登ったりするのに苦労したことはない。
捻挫は癖になるのか?
とはいえ、年齢には抗えない。
「昔取った杵柄」が次第に朽ちてきたのを感じるようになり、10年くらい前からは「健康のために歩く」ことを意識するようになった。
駅の自転車置き場の有料化に伴い、通勤に自転車を使うのをやめ、駅まで片道18分を歩くようになった。
それと前後してだっただろうか。
道を歩いていてつまづき、たまに捻挫をするようになった。
それは決まって右足。
そしてある日とうとう階段を踏み外してしまい、右足首を軽く剥離骨折してしまう。
さすがにそこまでくると、歩き方に問題があるらしいことは素人でもわかる。
でも、だからといって、どうしたらよいかはわからなかった。
長距離を歩くのは平気だったが、なぜか「歩いて筋力をつけなくちゃ」と考えていた。
それは間違いではないかもしれないが、根本的な解決法ではなかったと思う。
ところで、「捻挫は癖になる」という話はよく聞く。私もその当時は「捻挫が癖になった」と思っていた。
でも、今ならわかる。
癖として身についていたのは、「捻挫をしやすい歩き方」。
つまり、問題はそこ。
「脱力」、それは原点であり頂点
そんな癖を抱えたまま、縁あって大島ケンスケさんのセミナーやイベントに通い始めることになる。
それは別に「歩き方」をどうこうしようと思ったからではないし、その当時はケンスケさんもそれに特化した活動はしていなかった。
まずどのセミナーやイベントでも、必ずやるワークがあった。
「脱力」のワークだ。
人は知らず知らずのうちに体に力が入っているという話は、前に書いた(→こちらの記事)。
気合いを入れて何かをやろうとして力が入りすぎることもあれば、緊張しているせいで体がカチコチに固まっている場合もある。
いずれにしても、体に力が入りすぎることにメリットはない。というよりは、デメリットしかない。
無駄な力を抜くことで、体本来のポテンシャルを活かせるようになるからだ。
でも、「力の抜き方」を知っている人は意外といない。
ちなみに、私は脱力のワーク(めちゃくちゃ簡単)を日々実践することで、肩こりになる前に肩こりを解消できるようになった。
この「脱力」が、のちの「歩き方」で重要になる。
つながるからだ、つながるこころ
それから数年後の2023年、「つながるからだ、つながるこころ」のワークショップが始まった。
学ぶのは「日本人の本来の歩き方」。
日本人の体に合った、日本人がいちばんパフォーマンスを発揮できる歩き方である。
日本人の本来の動きに近い歩法では、上半身が脱力しているそうだ。
ケンスケさんは、最近のショート動画のなかでこうおっしゃっている。
実は「脱力」の仕方を習っても、いざ脱力するためには練習が必要なように、日本人の歩き方を習っても、それは一日二日でできるようになるものではない。
実際に、できるようになっているのかどうかすらよくわからない。
でも、私はとりあえず歩いた。
歩く目的は「単なる移動手段」→「健康のため」→「日本人の本来の歩き方を取り戻すため」に変わっていた。
地味にちびちび続けるのはけっこう得意なのだ。
満を持して「地下足袋」デビュー
さて、「日本人の本来の歩き方」が取り戻せているのかどうかはよくわからないが、ケンスケさんが「地下足袋登山」を始めたことに触発されて、私もまねをしてみることにした。
その理由は「おもしろそう」だったから。
お試しは、家族との高尾山登山でやってみた。
地下足袋を履いて歩いてみてまず感じたのは「アスファルトの上を歩くのは足の裏が痛い」だった。
こんな平らなところを歩くのが、なぜ痛いのか?
でも、土の山道が始まると、急に平気になる。でこぼこ道や石のゴツゴツした道でも、なんともない。
一応外履き用に底とつま先がゴムでコーティングされている地下足袋ではあるが、地面の形状はダイレクトに感じる。
それでも、山のなかを歩くのは平気だった。
ところが。
次第に右足に痛みを感じるようになる。つま先が痛い。右足だけ痛い。
そういうわけで、無理はせず、下山は普通の靴に履き替えた。
なぜ右足だけこうなるのだろうか、という疑問を残しつつ。
そして、謎が解ける
次の地下足袋登山、というか山歩きの機会は、八ヶ岳リトリートで訪れた。
つい先日のことだ。
そこでケンスケさんに、高尾山での状況をかくかくしかじかと伝えたら、「足の裏をこういうふうに地面につけてごらん」とアドバイスをいただいた。
(そのアドバイスについては秘密でもなんでもないが、誤解を避けるためにここでは詳細に説明しない。歩き方の癖は千差万別であるため、適した歩き方は人それぞれ異なるからだ。現にいっしょにいた友人は、私とは真逆のアドバイスをもらっていた)
足の裏のその部分の重要性は、前回の高尾山登山で私も薄々感じていたところだった。
私はその日、その足の運びにのみ集中して歩き続けた。
その結果どうなったか。
特に右の足の裏の普段意識していない部分に、かなり負荷がかかっているのを感じた。
そして、あろうことか、翌日私のふくらはぎは筋肉痛になってしまった。
ふくらはぎ全体ではない。ある一部分だけが、である。
前述したように、私はこれまで歩くことや登ることに困ったことはなく、低山の登山くらいで筋肉痛になることはまずない。
それは衝撃であり、おそらくは長年の疑問が解けた瞬間でもあった。
“歩くときに足の裏のこの部分がうまく使えていなかったから、足が外側に傾いていたのだ”
だから、捻挫しやすくなっていたのだ。
だから、靴底の外側が擦り減るのだ(特に右足)。
これは、地下足袋で歩いてみなければ、決して至ることのない境地だったと思う。
予想外の発見だった。
探求は続く
私が最後に捻挫したのは2022年の11月である。そして最初に「つながるからだ、つながるこころ」のワークショップに参加したのが2023年6月。
それ以降、幸い現在(2024年10月)に至るまで、捻挫をせずにすんでいる。
以前と比べて、歩き方にはかなり気をつけるようになった。
そして、今回の気づきの意味は大きいと思う。
今は、靴を履いて歩くときにも、足の裏の“その部分”を意識して歩いている。
私の足の傾きは治るのだろうか。
それはいずれ、靴底が教えてくれるはずだ。
「和の歩法」に興味がある方は、こちらの動画もどうぞ↓
【2024年11月16日追記】
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