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ドネーション制(お気持ち制)のライブを企画してみた【どきどき当日編】

【わくわく準備編】の続きです↓ 物販の女神がほほ笑む予想を大きく上回り、Tシャツには17枚の注文が入った。 なんてありがたいことだろう。 その結果、なんとライブ前に、収支が黒字になることがほぼ確定した。 このままいけば、ドネーションの全額と当日の物販の売上の大半を、ケンスケさんにお渡しできることになる。 あとは、当日のポーチと記念絵はがきの売上にかかっている。 「ドネーション」が意味するもの実は今回のライブは、「ドネーション」というものについて改めて考えるよい機会にも

    • ドネーション制(お気持ち制)のライブを企画してみた【わくわく準備編】

      「こぢんまりとライブできそうな場所を探してもいいですか?」 その一言から、すべてが始まった。 とりあえず聞いてみる8月上旬のある日、その場の話の流れとノリと不思議な勢いで、大島ケンスケさんのライブを企画させてもらえることが決まった。 最後のライブから、実に9カ月近くが経とうとしていた。 ケンスケさんがライブをしなくなった理由はいろいろあるんだと思う。 私たちにも話してくれたが、根っこのところはわからない。 ただ、確実にいえることがひとつある。 ライブで収益を得ることは

      • 「歩く」ことで自分が「傾いている」ことに気づいた

        「和の歩法」 最近人気の大島ケンスケさんのショート動画はこちら↓ 「歩く」という行為の個人的な遍歴私のなかで「歩く」という行為は、長年「単なる移動手段」でしかなかった。 「単なる移動手段」はなるべく短く済ませたいから、可能であれば近場でも自転車移動が当たり前だった。 タイパ重視である。 だが、歩くことが苦手なわけではない。 私は標高300m弱の山の麓で育った。そして通っていた小学校は登山口の真横にあった。 実家は海抜0mのところにあるので、登校は坂道をてくてくと10分くら

        • 共に過ごす、共に暮らす

          門前の小僧大島ケンスケさんの活動のなかに、「リトリート」や「旅」の企画があります。 ケンスケさんとコミュニティの仲間が1泊ないし2泊を共に過ごし、いっしょに山に登ったり、神社やお寺に行ったり、ワークを教わったりしながら、「同じ釜の飯」を食べて語り合い、交流します。 ほんの数日ですが、仲間と生活を共にすることで、自然とお互いの意識がつながり、一体感が増します。 「門前の小僧習わぬ経を読む」といいます。 私たちコミュニティのメンバーは、ケンスケさんと行動を共にし、さまざまな

          Visionセミナーの極意【3カ月コース編】

          いきなりですが、「影響」とは何でしょう? 『広辞苑』では以下のように定義されています。 では、質問です。 ①あなたの人生は、誰の(何の)どんな影響を受けてきましたか? ②それとは逆に、あなたの人生で、誰の(何の)影響も受けていない部分はどこですか? このふたつの質問に明確に回答できた方、おめでとうございます。 あなたはVisionセミナーを受ける必要がありません(笑) 影響とは、かくも恐ろしい影響には、大きく分けて「先天的」なものと「後天的」なものがあります。

          Visionセミナーの極意【3カ月コース編】

          「入れる」のではなく「抜く」のです

          「何を」って話ですけどね。 「入れる」のが正解だと思っていたかつて「気合いだ!気合いだ!気合いだ!」と時代に鼓舞された私たちは、たいていのことは気合いとか根性でなんとかなると思って育ちました。 (あくまで昭和世代の話ですけど) そしてあろうことか、そこそこ若いうちは、たいていのことはそれでなんとかなってしまいました。 そうすると、生き方としてそれが正解だと思い込んでしまいます。 気合いは入れるもの。 そりゃそうです。 別にそれで不都合はありませんし、日々のパフォーマン

          「入れる」のではなく「抜く」のです

          Visionセミナーの見どころ【基礎知識編】

          「最高の私」を生きるためには、まず“わたし”を知る必要があります。 “わたし”って何なんでしょう? 最近、大島ケンスケさんの発信で頻繁に見かける「Visionセミナー」。 気になっている方も多いのではないでしょうか。 今回は「Visionセミナー基礎知識編」を3回受講済みの私が、Visionセミナーの見どころについてご紹介したいと思います。 “汝自身を知れ”自分を知らずして、Visionはありえません。 Visionセミナーでは、まず“わたし”という存在について考えます

          Visionセミナーの見どころ【基礎知識編】

          三歩進んで二歩さがる。それでいいの?って話

           しあわせは 歩いてこない  だから歩いて ゆくんだね  一日一歩 三日で三歩  三歩進んで 二歩さがる  (「三百六十五歩のマーチ」作詞:星野哲郎、作曲:米山正夫) この歌をリアルタイムで聴いたことがある人は、そろそろこの世界で半世紀くらい生きている人でしょう。 そして、半世紀くらい生きてきたからこそ、気づいているかもしれません。 「三歩進んで 二歩さがる」 人生って、そんなことの繰り返し。 「三歩進んで二歩さがる」のがデフォルトなのかいえいえ、ちょっと待ってください。

          三歩進んで二歩さがる。それでいいの?って話

          そろそろ本当に、「本当の自分」に会いにいく【Visionワークのお話】

          思考を変えれば現実が変わる? 劣等感や思い込みがなくなれば、楽に生きられる? 親を許せば、夫婦関係がよくなれば、幸せになれる? いっそのこと、もう好きなことだけやって生きていけばいい? それはある意味正しいのかもしれません。 だとしても、それであなたは「本当の自分」を生きていることになるのでしょうか? 「本当の自分」とは。 この問いに答えられる人は、果たしてどのくらいいるのでしょう? 「自分」と思っているものの正体「本当の自分」とは、役割とか職業とか地位とか肩書とかが示

          そろそろ本当に、「本当の自分」に会いにいく【Visionワークのお話】

          小説『KYOMU 虚無』に描かれた「人間機械論」のその先

          小説は、基本的にフィクションである。フィクションとは作り話である。作り話であるということは、現実の世界とは無関係なのだろうか。 そうではない。優れた作家によって、慎重に吟味され緻密に編み込まれた言葉の集合体には、現実以上の真実と真理が何層にも重なって描かれている。むしろ、それを小説と呼ぶのだと思う。 小説『KYOMU 虚無』(大島ケンスケ著、Clover出版、2023年)には、プログラミングされたバーチャル世界で生きる人間のアバターが登場する。20世紀初頭、アメリカの文豪

          小説『KYOMU 虚無』に描かれた「人間機械論」のその先