「入れる」のではなく「抜く」のです
「何を」って話ですけどね。
「入れる」のが正解だと思っていた
かつて「気合いだ!気合いだ!気合いだ!」と時代に鼓舞された私たちは、たいていのことは気合いとか根性でなんとかなると思って育ちました。
(あくまで昭和世代の話ですけど)
そしてあろうことか、そこそこ若いうちは、たいていのことはそれでなんとかなってしまいました。
そうすると、生き方としてそれが正解だと思い込んでしまいます。
気合いは入れるもの。
そりゃそうです。
別にそれで不都合はありませんし、日々のパフォーマンスは向上します。
そういえば、一昔前にはジャパニーズビジネスマンが24時間戦い続けるためのドリンクなんかもありましたね。
気合いと根性にエナジードリンクが加われば、もはや無敵。
……だったはずなのに。
気持ちの問題だけど気持ちの問題じゃない
「気合い」って、気持ちの問題に見えます。
でも考えてみてください。
「気合い」を入れて、実際に稼働してパフォーマンスを発揮する本体は何でしょうか。
「体」です。
若いうちはいいのです。多少の無理はききます。
ある程度の年齢までは、徹夜をしてもへっちゃら。
でも次第に、寄る年波には勝てず……体にガタが来はじめます。
もはやエナジードリンクの効果も薄く。
そこで気づいて(あるいは、そうなる前に気づいて)心と体のメンテナンスができれば理想的ですね。
「もう、そのやり方は通用しない」と。
でも。
そこで気づくその前に。
「そのやり方」自体
そもそも合ってますか⁇
どこで間違えてしまったのだろう
三つ子の魂百まで。
好むと好まざるとにかかわらず、私たちは幼少期に身につけたものを当たり前のこととして、何の疑いも持たずにその後の人生を歩んでしまう傾向があります。
今でこそ西洋軍隊式の度合いは弱まっているかもしれませんが、いずれにしても学校生活は、一定の体の動かし方と社会性を習得するには十分です。
実際、人生には「気合い」が必要なときはあります。
何かを身につけたり何かを得たりするためには、踏ん張らなければならないときもあるでしょう。
だからこそ、至れるところもある。
大事なのは「加減」です。
「程度」ともいえます。
過ぎたるは及ばざるがごとし。
「入れすぎる」からいろいろと不都合が生じます。
気合いを入れて事に当たろうとすれば、必然的に体にも力が入ります。
体を動かすためには力が必要です。
そのとき、気合いを「入れすぎる」とどうなるのか。
当然、体にも力が「入りすぎる」可能性が高くなります。
そもそも力が入りすぎている時点で、力の無駄遣いになっているし、力が入りすぎることは、実はパフォーマンスの低下にもつながります。
がんばってがんばって、豊かさが飽和するくらい経済的に発展した日本は今、同じだけの健康上の問題を抱えています。
だったら「抜けばいい」じゃない?
言うは易し。
みなさんは、体の力の抜き方ってわかりますか?
その前に、体に力が入っていることがわかりますか?
問題はここなんです。
力が入りすぎて力の無駄遣いをしているのであれば、力を抜いてちょうどいい力加減にすればいいのですが、そもそも力が入っていることすらわからない。
仮に力が入っていることが意識できたとしても、そう簡単には力を抜くことができない。
それゆえ、気がつけば無理をしすぎていて、場合によっては体に負荷がかかりすぎ、健康に問題が生じています。
「抜き方」は習うことができます
だから、「力の抜き方」を習うことに意味があるのです。
大島ケンスケさんのワークショップ「つながるからだ、つながるこころ」では、「体」の使い方を徹底的に学びます。
「力の抜き方」は序の口です。
このワークショップで具体的に学べるのは、
「日本人の歩き方」とは、日本人が体のポテンシャルを最大限発揮できる歩き方のことです。
遠い昔に忘れてしまった日本人としての体の使い方、取り戻しませんか。
そして力の無駄遣いをやめて、ちょうどいい力加減で最高のパフォーマンスを発揮して、残りの人生を歩いていきましょう。
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