39歳からのスケート記録 #08 初心
これは40手前から、自分らしい人生を探しにいった男の備忘録。
ゼロからを始め、マイシューズを買うほど熱中すること4カ月。前回は、練習のために県外のリンクまで足を延ばし、大人向けの試合の存在を知ったところまで。
マスターズ
フィギュアスケートの試合について、オリンピックまでの若い子たちが出るアマチュアの世界しか知らなかった。アマチュアでアスリートとしての成功を目指すか、その後にプロの演者としてアイスショーに出るかしか、表舞台として存在しないと思っていた。
調べてみると、マスターズチャレンジカップという大会があったと知った(今年は名前が変更?)。そして、92歳の浅野千江子さんという日本最高齢のフィギュアスケーターの方も出場されていたとのこと。下の記事を読んで、戦前の満洲から続けられていたストーリーにただただ脱帽するばかりだった。
生涯スポーツの一面があるのは知っていたけれど、ちゃんとフィギュアスケートというスポーツを愛しているからこその大会なんだろうな、素敵だなと思った。
リンクでは、幅広い年齢の大人が、皆さんひたむきに自分のスケートに向き合っている環境が心地よくて、それだけでなく、試合に挑戦できる可能性にモチベーションが上がった。もちろん、まだまだ試合に出られるようなレベルではないのだけれど。
ここ10年近く、30を超えてしていたソフトボールの大会でも、ソフトボールを好きだから参加しているとはいえ、この熱量はチーム内で揃っているとは思えないことに違和感を感じていた。試合が出来ていればそれで満足するのか、自分が良いプレーが出来ればそれで満足するのか、それは人それぞれであって良いはずなのに、ちょっとした違和感が寂しかったり、ピッチャーとして自分が点を与えないような投球が出来れば負けないという考えも自分の負荷になったり。(逆に言えば、だからこそ、夏の甲子園は日本の最高のエンターテインメントであり続けるのだけれど)
だからこそ、今度はそんな言い訳なしに、楽しめるようにしたい。
応援することと自分でやってみること
これは自分の性分として、「誰かを応援する」よりもどちらかというと「自分でやってみたい」派だった。ギターも、ドラムも、サーフィンも。楽譜は読めないけど、25m以上泳げないけれど、とりあえずやってみた。一方で、スケートに限らず、「誰かを応援する」推しの感覚が分からなかった。
今回フィギュアスケートをやってみたのだけれど、このnoteで更に実感したこととして、スケーターへの推しの熱量が物凄いなと。(特に羽生選手へのだけれど)今までどのプロアスリートのサインなりグッズなりですら、興味がなかったのだけれど、他の方のnoteを読んでみて、「そんなに?」と思い、少しばかり見直してみた。
一通り見直してみて、超一流は認識していた以上に「応援したくなる存在」なんだなぁと、腑に落ちた。
例えば、羽生選手のエッジカバーの取り外しの所作や音も、「(自分がやったら)そうはならんなぁ」と苦笑いしながら見ていた。推しの感覚が少し理解できた気がした。
エベレストと近所の裏山ほど、レベル感は違えども、どんな選手のスタイルを目指したいか、というような具体的な像というかビジョンを持っていた方が、より早く上手くなるだろうし、より濃い時間になるかなと思うようになった。これはスケートに限らず、あてはまる話なんだと思うけれども。そういう意味で、実際にリンクで滑れるようになる練習以外に、自分の理想の形を持てるように、勉強してみたいなと思えるようになった。
きっとソフトボールだけを続けていれば得られない感覚だった。仕事に置き換えれば、転職したほうが良いと言われるのも、新しい環境でしか得られない感覚で、仕事観なり人生観が豊かになる可能性があるからなのかもしれない。趣味でも、仕事でも、自分らしい世界観とはどんなもんか、それを表現するにはどうすればいいのか。
仕事の合間
そんなことを考えるようになった6月。いよいよ、仕事内容が変わってからのお試し期間みたいな時間が終わり、夕飯を食べる時間すらなくなるほど、忙しくなってきた。
ーーリンクに行く時間以外の時間を有効活用しないといけないな。
埼玉のリンクへの遠征もそんな簡単には出来ない。時間の有効活用を真剣に考えだした。