サバイバル
自分を野生動物だと思っている。
地平線より下にある太陽を感じて夜明け前を知り、風に内包された雨の匂いと虫たちのざわつきで嵐を予見する。外敵からの急襲に備え、眠る時であっても神経を研ぎ澄ませて巣に幾重もの意識のバリアを張り巡らせている。
私は、死なない。
そして
娘を、死なせない。
毎日毎日をサバイバルしていく。
🦓
ときどき思い出すエピソードがある。
『間に合わなかった救助犬』
阪神淡路大震災の際、スイスから災害救助犬がスタッフと一緒に来日した。
スイス国内では迅速な手続きで出国したチームは、日本に到着したのちに動物検疫でとめられてしまい、人命救助のリミットとされる72時間を過ぎてしまった。
(注;東日本大震災の際には柔軟な手続きがとられるようになった)
仕事のキャリアアップ研修の中で取り上げられたエピソードである。
「自分の使命は何かを常に念頭に置く」のがいかに大切かを想起させられた。
この場合の最大の優先事項は、人命である。災害の現場にいかに早くスタッフと救助犬を到着させるかにかかっている。検疫にかかわる法律の遵守と煩雑な手続きの遂行は重要ではないはずである。入国に携わる職員の中に人命救助という優先事項に注視する人がおられて、弾力的な検疫の運用をするためにムーブメントを起こすことは出来なかったのだろうか?と講師は言っていた。
「自分の使命は何なのか、心の中にブレない錨(いかり)を落としておこう。」その時、強く思った。
🦒
私の使命。
ハトちゃんに生き抜く術(すべ)を教えていくこと。
ハトちゃん(娘9歳の仮名)を大きく成長させ、一人で生きていけるようにする。
生きていけるようになるまでは、側にいる。
守り、食べさせ、教える。
生きていけるようになったら、離れる。
それが、野生の使命。
ふだん私は、目の前に広がる些末なタスクに追われている。こだわりが強く自分をなかなか曲げないハトちゃんとのバトルに心底ヘトヘトになっている。発達障害の特性が、ハトちゃんの小学校での人間関係や学習進度にも強く影響を与え、私の頭を悩ませている。
なにもかもが上手く行ってないような、やり残したタスクだけが降り積もっているような、見通しがきかない霧に心が塞がれた状態に陥っている。
そういう時、『救助犬』がさっと横切る。
ああ、私は野生動物だった。
シマウマやキリンではないし、ましてやライオンでもないって分かってる。
でも、私は生き物であり、母親である。
そして、いち野生動物の雌として我が子を育てている。
自分の使命を思い出す。
私の主眼は「しつけ」や「学習」にはない。
世間から見たときの行儀の良さや学校の成績で計れない、生き物としての強さを体得させてあげたいと思っていたのだった。
*落ち込んだときの抜け出し方
*女子として生きていく知恵と防御
*集団の中における自分の居場所の見つけ方
ハトちゃんに伝えたい「生きる術」は果てしなくある。ハトちゃんは、強くなってきているだろうか?ハトちゃんはあの広い大空を飛べるだろうか?日々、ハトちゃんを見る眼差しを調整していく。
そして、巣立ちまでは親は死んではならない。
私自身も雛の横で生き抜いていかねばならない。
人は死ぬ生き物なので、なるべく死なないように、自分をメンテナンスしている。
🦮
「ただいま〜」
玄関の扉を開けると、散乱するハトちゃんの靴が迎えてくれました。片方はひっくり返り、片方は扉のすぐ前にあります。
視界とは別に、頭の中は、昼間に学校からかかってきた電話の内容でいっぱいになっています。ハトちゃんは学校で、出来ていないことだらけ。今から、目の前に座らせて問い詰めましょうか?
洗面所で手を洗っていると、キッチンから声がします。
「おかーさん、ハトちゃんお腹がすいたから何か作るね!」
「はーい。気をつけてね」
と応えて、洗濯物を取り込みにデッキへ出ました。
頭の中はハトちゃんに注意したいことで赤く光っています。カゴに乾いた衣服を手早く入れながら、言いたいことが溢れそうになってきます。般若の形相で意を決してデッキからリビングへ戻りました。
すると、
湯気あがる黄色のフワフワがお皿に盛られていました。
ハトちゃんは、満面の笑みでスクランブルエッグを食べていました。鼻歌を歌いながら、老犬と分け合って。いつものようにほっぺにはご機嫌なエクボがでています。
その瞬間、『救助犬』がさっと横切りました。
卵を冷蔵庫から出す。
フライパンとボールを準備する。
IHのスイッチを入れる。
できている。ひとりで。
それで良い。生物的には。
私は、ゆっくりとハトちゃんに近づいてスクランブルエッグの味見をし、言いました。
「美味しいね!ひとりでよくできたね。」
「お砂糖やマヨネーズなんかを入れるともっとおいしくなるよ」
🕊
子育てをしているとき、世間一般的に、子どもたちに働きかける言葉として「いい学校に入って、いい企業に入って、いい人と結婚しなさい」というフレーズがある。
どれも、私はハトちゃんに働きかけることができない。
どれも、ハトちゃんは選択しない。
以前は苦しかったのだが、今は漠然とした期待感に満ちている。
そもそも親が子に対して持つ気持ちとは、
「より生きやすい方向へ、より明るい方向へ、伸びていって欲しい」
という祈りのようなものではないだろうか。
だから私は、自分を野生動物だと思うことにしている。
ああ、もうすぐ一日が終わる。
今日も私は死ななかったし、
娘を死なせなかった。
今日も生き延びた。
🦓
『教養のエチュード』
嶋津さん、初めまして。
このコンテストに参加できて嬉しく思っています。
でも、最初は『教養』が冠に入っているコンテストに参加することに、少なからず抵抗がありました。
障害を持つ娘にとって、いわゆる一般的な教養を備えることは一生ないかもしれない。
そのように感じながら子育てしているからなのです。
しかし、娘の相手を思いやる気持ち、相手の心を汲みとろうとする気持ち、生き抜こうとする生命力に教養を感じざるを得ません。
私にしか見えない、私にしか書けない『教養』を表現したいと思いました。
「それは、教養ではない」
とお叱りをうけるかもしれません。
それも、受け止めます。
私は野生動物です。
シュンとした後、さっと走っていきますから。