いい日旅立ち
朝から糸のような細い雨がサァァーと降っていた。穏やかな温かい涙のような雨。その日が皐月の晴明な晴れの朝でなかったことは、私の心を救った。白い光あふれる朝だったら、きっと心の中とのあまりの差異に苦しかったかもしれないから。湿った薄い灰色の雲から雨が降る様子は、心の中とリンクしていた。世界とひと続きのような気持ちになった。
その日の朝早くに、愛犬のモンちゃんは息を引き取った。
モンちゃんは、少し前からだんだんと食が細くなって、痩せて、さらに水も飲めなくなって、家族が代わるがわるスポイトで口を湿らせていた。でもついに明け方前、息が止まった。眠るように逝った。
「よくがんばったね。ありがとう」
家族はリビングに集まってぽつぽつと小さな声で話しながら、色とりどりの花を、ある者は花びらだけにし、ある者は蕾だけにしていた。亡骸の周りに入れてあげるために。ガーベラの黄色、ピンク、バラの赤、白、かすみ草etc。なかなか賑やかになりそうだった。埋葬先は遠くのペット霊園ではなくて、我が家の敷地内にすることに全員一致で決まっていた。
ふいに、父が動いた。ふだん自発的に何かをすることがない認知症の父が何かを作り始めた。聞けば「棺を作らないといけない」と言う。その他の家族は、何故かそのまま直に土に埋葬するつもりでいた。父は空き箱で愛犬を入れるための棺を作っていた。モンちゃんの体の大きさに合わせて長さを出して切り、貼り合わせる。居心地の良い棺を用意しなければ、と思ってくれたのだ。「おじい…」家族は少しうるっとさせられた。
モンちゃんの新しい居場所は、裏庭の夏椿と柘榴の木の間になった。夫は、「俺の小さい嫁が死んでしまった」と号泣しながら深い穴を掘ってくれた。彼の胸に抱かれるモンちゃんは小さく小さく見えた。夏椿と柘榴はどちらも、今、花をつけている。「季節が巡って夏椿と柘榴の花が咲くようになったら、モンちゃんのことを思い出すことになるね」と私が言うと夫は黙って頷いた。
喪失感が心を占める時、空の色、木の間から射す光、花の色が際立ってくっきりと胸に迫ってくるのはなぜだろう。私達家族は心を絞れば滴るような悲しみで満たされている状態にあったが、埋葬しながら鋭く五感を研ぎ澄まして、愛犬亡き後の世界を感じていた。みんなで裏庭の新緑を見た。天気は午前中雨で午後からはピカリと晴れ上がって行った。みんなで雨上がりの水滴とむせかえるような緑の香を感じていた。
黒くて艶々のソーセージみたいなモンちゃんは、間違いなく我が家の青い鳥だった。幸せの象徴。心の底から愛していた。いなくなってしまったら、青い鳥が飛んでいってしまったようにロスが押し寄せてくるはずだ。飛んでいってしまった後のこの家の中でどう過ごせばいいのだろうか。そう思っていた。
その日の晩、娘のハトちゃんは私のために布団を敷いてくれた。ユニークなやり方だった。押し入れの掛け布団、全盛り合わせ。布団のジャングルに一層盛り上がったふわふわの部分があり、そこから体をするりと滑り込ませてみた。温かくくるまれて横になったら、肌寒い夜なのを忘れて眠れた。眠りに落ちる前、愛犬が亡くなった日にあるはずがないと思っていた「今日のいいこと」は、案外、いくつも浮かんできた。
ともすれば、いなくなった青い鳥のことを思いがちだ。でもこの家にはモンちゃん以外の青い鳥が、確かに存在しているようだ。いま存在している人たちとの日々を大切にしよう、そう思えた。そしてその日、確かに、いいことはいくつも存在していた。
モンちゃんが旅立った日は、よき日だった。
🐶
先日、ルミさんの素晴らしい記事を読ませていただきました。読んだ日、悲しいことがすぐ近くに迫っていて、その後ずっと良いことを感じることができなくなりそうな予感に満ちていました。ともすれば、号泣し、取り乱して、悲しみの奔流に巻き込まれて出られなくなるような気がしていました。でも、なぜかするすると導かれるようにルミさんの記事を読んでいました。とても集中して読んだことを覚えています。読んだあと、心の中にマッチの先に灯るような小さな小さな勇気が光っているのが分かりました。悲しみを受け入れる勇気。
ルミさん、ありがとうございます。
愛犬との別れの日に、悲しい日にも、良いことは存在していて、その日はよき日だったと思うことができました。ケの日にもハレあり。
「その日よかったこと」を記事にしました。