特権性の自覚と『すずめの戸締まり』批評、それに人生

自分の物語賢者の石を紡ぐにあたって、僕は何を選ぶのだろう。
「日本人」「二十三歳」「身長一七〇センチ」? いやいや。
「話すのが好き」「寝るのが好き」? それでもないな。
「虹のうろこ」。来年にでも書けるといいね。

新年の抱負は「虹のうろこを身に着ける」、です。
「虹のうろこ」の正体は僕にはわからないけれど、
なにかではあるのでしょう。

いずれ僕は、大学院に進むつもりです。
現在二十三歳。とっくにみんなは働いているけれど、
僕は働かないという選択をしたのです。
なぜなら、一日十時間は寝たいから。
一日八時間労働をして、休憩込み九時間。
それではたくさん寝られるわけがない、泣く泣く就職を諦めました。

生活にはお金が必要です。
家賃が三万、食費が二万、交通費が一万。学費積立が二万。
その八万を稼げれば、当分少しおいしいご飯で糊口をしのげます。
だからアルバイトでいい。これは、僕の特権性です。
他の人にはできない、僕の才能なのです。

『すずめの戸締まり』を、昨夜見ました。
美麗な情景と、見知ったプロットと、イイカンジに後ろ結びをする女の子。
そして東日本大震災。
これを見たことで、やっと、数年前に素通りした、茂木謙之介さんの『すずめ』レビューを読むことができました。

そしてその後、Twitterでの当該レビューへの反応を見、恋人と話しました。

僕は概ね批判的です。
恋人は、批評をするということそのものに批判的です。
しかし恋人は、自らが批評に批判的であることを自覚しています。
だから僕は、別の価値観を持った他者として、恋人に批評を話します。
そして毎回少し疎まれている気が、します。

その会話の中で、僕が批評を「好き」かどうかを問われました。
僕は批評が「好き」だと答えました。
ただその「好き」は、「砂場で遊ぶのが好き」より、「レジ打ちの店員さんにお礼を言うのが好き」に近いもので、べき論を孕んでいるものでした。
そっちの方がいいよね、という性質の、社会参画の意思としてです。
そして僕はその「好き」を、特権性という言葉に回収させたいのです。

恋人は、よくできた人です。
僕より多分に社会的で、交流への腰が軽く、Twitterよりインスタです。
そして、感性と言語を接続するという努力をしてくれるいい人です。
そんな恋人は、時折友人の相談に乗り、何やら言葉選びの助言をしているようです。
そして恋人は、「言葉にするのがうまい人」という肩書を頂戴することもしばしばらしく、本人はそれに嬉しさと、同時に疑問を抱くようです。
私よりうまい人がいるのに、と。

話を貧困暮らしに戻して、僕は月八万程度で暮らしています。
生活保護をもらっている友人は、月六万円で暮らしています。
だから僕は、学費積み立てを諦め、生活保護をもらえれば十分幸せに暮らせるのです。
(たまに僕の生活を見とがめた人が、半分悪意でそれを勧めます。)
ただし、実際の受給者が苦しんでいることから分かる通り、月八万は才能がある人の暮らしなのです。
これは前述の通り「特権性」で、言語化もそれであると僕は思うのです。
そして「特権性」には自覚的になるべきだと思います。
なぜなら、自覚のない「特権性」行使は、暴力であると思うからです。

ここで具体例を出すのは止します。きっとみんな分かるであろうから。
才能がある人が、「人生は全部努力でどうにかなるよ」と言った時のあなたの顔を思い出してください。
付け加えると、僕は暴力が悪いことであるとは思いません。
ただ、気付かないうちに振るった暴力で、損をするのは僕らなのです。

様々な人に、様々な「特権性」があります。
「日本人」「二十三歳」「身長一七〇センチ」、これも「特権性」を持ちうるものです。
その全てを自覚し、慎むことは不可能です。
だからこそ、少しずつ自覚し、真っすぐに暮らすのがいいと思うのです。
そして、批評は、言葉にする能力は(あるいは読む能力も)、特権なのです。

新海誠さんが作品を描く時、その作品を描く、という行為が「特権性」を持ち合わせていることを自覚できていたかは分かりませんが、僕にはそう見えない。
しかし前述の通り、すべての「特権性」に自覚的になることは不可能です。
だからまた別の「特権性」を持つ人が批評を存在させ、届ける。
そして別の「特権性」を持つ人がそれを読み、思考する。
そうして文化は進んでいくのだと思うのです。
この時僕は、「特権性」の集合体、あるいは出力の方向性を個性と呼んでもいいかと思います、
が、
これはまた別に置きましょう。

別に、「特権性」を発揮して生きなければいけないわけではないのです。
でも、それを持っていない人がいるということを自覚した時に、「特権性」を発揮することがある種責務めいたものであることが、僕には思われます。
それはまた、作品だけではなく、人生全てにも言えることであると考え、僕は生きています。
なぜなら、僕の持たない「特権性」(力が強い、魚が好き、利他的……)を持つ人のおかげで、僕は生きていられるのですから。


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