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ちょっとしたところに配慮が見える

いい悪いじゃなくて
noteをみてても

ただ自分のアウトプットで書いてるだけなのか
人に見られることを意識して書いているのか


書き方でわかる。
というか感じる。


行間もへったくりもなくて
読みやすさ度外視の人を見てると


あ〜普段の付き合いも
こんな感じなんだろうか?
とアンコンシャスバイアスがかかる。
※要するに決めつけ



でもね、そういうところが
普段にひょこっと出る。



先日知人(男子)とエレベーターに乗り合わせた時のこと。



普段は気配りもできる人なのに
なぜかその日は(同じ階で降りる予定)
荷物をたくさん持ってる私を置いて
さっさと自分だけ降りて
ドアも「開」にしなかった。


一番最後に降りる羽目になった私は
案の定ドアに荷物ごと挟まれた。


この人と絶対結婚できないって思った。


意識すればできることと
無意識に身についていることは全く別で
モテる人ってのは
この無意識の身についてるところで
人を魅了しているように思う。


結局頑張ってるところって
人に見ぬかられるし
後付けスキルなので
ぎごちなかったりもする。


頑張って無視域領域まで持って来れたら
それはそれで素敵。



ま、わたしもそうだけど
こういう普段の無意識のところが
人によく見られている。


相手を想像できない人が
増えてきているようにも思う。



こう言っとけばいいだろう
こうしとけばいいだろう



その人に合わせた個別最適化をサボって
世の中の正解を当てはめて
知らずに「非モテ」になっていることが
おおいなぁと
(どこ目線なのか不明だけど)


自分に息子がいたら
もちろん学業もそうだけど
こういう」「モテる」所作を
叩き込んだと思う。

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