結婚できないのか?しないのか問題
できないというと、ものすごく受動的で
なんていうか、
先天性の問題に原因があるような気がする。
高いところが怖いから登れない、みたいな。
しないは、多くの選択肢から
自らが選んで決断していて能動的な感じがする。
できないのか、しないのかには
ものすごく大きな差があると思う。
私は言葉ってすごく繊細だと思っている。
ちょっとしたことだけど
ニュアンスも変わるし印象も変わる。
わかりやすいところで言えば
今日は可愛いですね。
と
今日も可愛いですね。
がだいぶ違うみたいに。
自分が話していることは
自分の耳で聞いてさらに全身が聞いている。
ちょっとしたことだけど
結婚できないのか
結婚しないのか
これもだいぶ差がある。
自己肯定感とか
自己承認とか
そういうところにも影響は波及しそうだし。
普段から使う言葉も、
もちろん全部ではないけど
ちょっとしたことにも気遣えることが
自分への労りや
他人への優しさにつながると思うんだよな〜
まぁ、理想論だけど
できる範囲で私はやってる。
どうせ話すんだから、
どうせ誰かと何か会話するんだから
ちょっとしたニュアンスを、そこ気をつけるのは
意外と自分を大切にすることに繋がると思う。
かといって、いいことばっかり選んで
話すってこともしてない。
負の感情も自分の一部だし。
正直に、自分の思ってること、感じてること
に対して、言葉に差異がないってことを大事にしている。
だから、結婚できないのか?しないのか?
これも言葉としてはかなり重要だなと
思って見てる。