関係ないことを関係あることにしてしまう凄技
昔少しだけ教壇に立ったことがあった。
自分の専門を教える立場だったのだが
実にいろんな学生がいた。
その中で自分が受け持っている学生を
他の先生が間接的に
ダメ出しをしていたり
何らかの指摘をしているのをみると
私は非常に心がざわついていた。
庇いたいような
否定したいような。
面白いのが
自分自身のことを言われても何とも思わない。
はい、へっぽこなんです。
普通に受け入れられる。
だって発展途上だし。だから色々勉強してるし。
でも、私が教えた、私が関わった学生が
何か言われていると
それは何だか非常に胸が苦しかった。
私が全く役に立ててない。
私が全然いる意味がない。
そんなふうに存在価値と結びつけてしまう
反応を自分が持っていたからかもしれない。
申し訳なさと不甲斐なさとで
穴に潜りたくなった。
これは何なんだろうか。
きっと自分の中の
存在価値みたいなものと
結びつけているのかもしれない。
あとは過剰なまでの共依存か?
学生がいることで私の存在価値が確立するのだから
それを邪魔しないで的な感じなのか?
いずれにしても
生徒が誰かに何かを言われても
私の価値とは何ら関係ない。
極めて不健全。
全く関係ない。
そう言えば母が昔
私のことを自分の作品のような気がしていたと言っていた。
だから期待と押し付けがすごかったと思う、と
だいぶ大人になってからカミングアウトされた。
そりゃ、あれこれと指図もするし
監視するし、私に選択権はないな。と思った。
それもまた
私という存在と私の評価が
母の価値と勝手にリンクしていたから
起きていた関係ないことを関係あることにする
脳内の凄技だと思う。
気づいただけ偉いよね。
話は戻るが、
図画工作の作品じゃないんだから
私が教えたからといって
私の作品では絶対にない。
いつの間にか
関係ないことが
関係あることになって
自分をがんじがらめにしていく。
大抵のことは
関係なかったりするんだよね。
いろいろと。