大学6年生になる私~鬱期を振り返る~その2
大学生なりたての頃は普通に4年で卒業するもんだと思ってたし、社会人になったら時間なくなると周りの大人が口を揃えて言っていた。
だから大学最後の一年は遊び呆けようと思って3年生までに詰め詰めで頑張って単位をとってバイトも頑張って貯金も頑張ってた。
あの頃は6年生、7年生は変わり者なんだろうななんて思ってたし、時空の歪んだ大学の中でも殊歪んだ特殊な存在だと思っていた。
3流などと聞くと、なんだかだらしないようなでも独特の世界観を持っていてかっこいいような変な感じがした。周りより歳を重ねている分、大分大人にも見えた。
今私がその立場に近づいてみて分かったことは、大人に見えても意外と子供だったりするし、強く見えても弱かったりするという事だ。
外面しか見えないけれど、皆内側に人間らしい部分をもっているのだ。
あの先輩は結局どうなったのだろう。話した事もなかったけれど、今になって話してみたくなった。
その先輩とは違うけれど、分野の先輩に8年で卒業した方がいた。後日談でその方は勤労学生でとても苦労しながらもきちんと卒業していったと聞いた。立場も休む理由も違ったけれど、当時はその方の書き残してくれたノートを見て私は休んで良いんだと思えた。人生立ち止まってもいいのだと、休む決意を後押ししてもらえたので、教授の次くらいにとても感謝している。
人は辛いことを乗り越えた分だけ優しくなれると思っていたけど、辛い経験をした分だけ許せなくなるんだという意見Tictokのコメ欄で見た。
なるほど。と思った。
私は前者でありたい。論文とか研究と同じで、大体の事は既に誰かがやっていることだ。大体の苦労は誰かが経験している事で、自分が嫌だな〜と思う時は皆嫌だな〜と思っている。(もちろんそうじゃない事もある。)
だから気負い過ぎず、一人で悩まず、素直に分からないときは分からない、助けてほしい時は早めに素直に助けを乞おうと思った。
自分が求めたら誰かも求めやすくなるし、いい流れを作れるのだから積極的に舵を取って行こう。
先輩や教授が優しさでなのか哀れみでなのか思いつきでなのか義務感としてなのか、はたまた仕事だから致し方なくなのかは分からないが、とにかく私は良い影響をいただいた。
意図的に良い流れを作れるのなら大したもの。意図的でなくとも誰かに良い影響を与えられるのなら万々歳。そんな人間になりたい。