『 なんば歩き 』 はデタラメか

○ 『 なんば歩き 』 とは

 日本人の歩き方として、江戸時代以前に存在していたとされるもの。

○ 『 なんば歩き 』 はデタラメか

 いわゆる『なんば歩き』はあったと思う。
 西南戦争において、明治政府軍は足が遅すぎて薩摩藩士に撫で斬りにされたとか、

Wikipediaより 鈴木春信の浮世絵

肩と腰がねじれていない歩き方をしている絵とか、こういう証拠らしいものだけだと信じきれなかった。
 それくらいに僕は今の歩き方が当たり前だった。
 だけど少し考えてみると、これとは別に、僕には実感できる根拠があった。

○根拠 その一

 他の肉体労働でも同じ感動を得られるのかは分からないけれど、農作業をしていると、いつになくスッと動ける瞬間がある。

 肉体労働をした事がないという人は、子ども時代を思い出してほしい。
 子どもの頃、「速く走るには、地面を蹴る意識より太ももを高く上げる意識の方が大切だ」と教わって、実践すると笑っちゃうほど速くなった、みたいな。
 とにかくそういう経験は誰しも一度はあると思うので、よくよく探してほしい。忘れているだけで、本当は子どもの頃に何度もあったと思う。よくよく思い出してほしい。

 話を戻す。

 つまり、僕たちは体を使うとき、とっても非効率な動かし方をしていたり、ある時ハッとそれに気が付いたりするのだ。

 しかし当然、気付きは頻繁にやってくるわけではない。そもそも自分で気付くより先に教えてもらう事の方が多い。
 都会育ちの祖母は田んぼでの歩き方から田植えのときの足さばきから、本当に何から何まで教わったと話してくれる。

 そして その中に『なんば歩き』もあ――ここで命令!

 差し支えがなければ、是非とも次の命令に従ってほしい。

●今すぐ実感できる 『 なんば歩き 』

 安全を確認してから、後ろ向きに歩いてください。ほんの数歩でかまいません。

 後ろ向きに歩いてください。

 歩きましたか?

 では質問です。

「下げた足と同じ側の肩が下がりませんでしたか?」

 右足を下げたら右肩が、左足を下げたら左肩が。
 いかがでしょうか。
 多くの方が、足と肩をねじらずに歩けたのではないでしょうか。

 前向きに歩く方法は変わっていても、後ろ向きなら昔のまま! なのではないでしょうか。

 というのも、祖母が教わった事の中に、後ろ向きに歩く内容がなかったんです(もちろん後ろに歩く必要がなかったわけではありません)。
 何度も何度も話してくれるのですが、毎度毎度 内容は同じで、たまに準レギュラーや三軍も顔を出しますが、それらを含めても後ろ向きに歩く内容の話はありませんでした。
 つまり、後ろ向きに歩く場合は、教える必要がなかったという事です。
 前向きに進む方法、横向きに進む方法、上下に動かす方法、向きの変え方、道具の使い方――話に出てくるものは、その多くが半身の姿勢(なんば歩きの姿勢)を基本としています。
 つまり、祖母は ことあるごとに半身の姿勢を教わっていたという事です。

 そんな中で、後ろ向きに歩く場合については何も教わらなかった。
 つまり後ろ向きに歩く場合は半身の姿勢を取れていた。
 きっとそういう事だと思います。

○根拠 その二

『着崩れ』という言葉がありますが、Tシャツ・短パン、あるいはパーカー・ジーパン、そういった服装に対して使われる言葉ではありません。気崩れてしまうのは主に和服です。
 言葉としてあるほど、和服は着崩れるのです。
「そんな不便な服を着ていたなんて信じられない」という方もいらっしゃるかもしれませんが、世界最古の木造建築を守っている国の事ですから、着崩れるぐらいで服を変えたりはしなかったのでしょう。
 それに 当時の歩き方、つまり なんば歩きは着崩れという点から見ても理にかなっています。
 もう眠たいので詳しくは書きませんが(気になる方はぜひとも実践をなさってください)、服装の観点からしても、なんば歩きは現実的という事です。

 あと、どうしてこのような記事を書いているのかというと、それは 戦国時代を描く脚本をより良いものにするためです。
 しかしこうやって僕の中で僕なりにリアルな戦国時代ができあがってきても、それを文字にする術がなければ無意味になります。かといって『誰某、なんば歩きで――』なんて書くわけにも行きませんし……。
 とりあえずもう寝ます。
 おやすみなさい。

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