【美】への深い執着心
わたしは美しくありたい。
70代をすぎてもハリのあるシワひとつない肌なんて無理があるのは
百も承知だが、70を過ぎたとしても年相応に美しくありたいのだ。
わたしが何故こんな【 美 】というものに執着しているのか。
それは幼少期に受けた心無い言葉が多くを占めていると感じる。
「ブス」「デブ」「ノッポ」「シュレックみたい」
沢山あります。
小学生なんてそんなもんでしょ、で片付けないでください。
その言葉のせいで夜通し鏡を見つめて己の容姿を責めている人間が
ここにいるのです。
時には女手一つで育ててくれた母親に「なんでわたしはこんなにブサイクのなのだ」「お母さんじゃない人から産まれてきたらもっとマシな顔だったのではないか」なんて
心無い言葉を投げつけたことも数回ではありません。何十回とあります。
つねにどこを整形したいかを考えてスマホの検索履歴はピンク色のホームページの
美容整形外科でいっぱいです。
上唇にヒアルロン酸を入れて二重幅をもう少し広げるの。
それから鼻尖形成に小鼻縮小だってしたい。
そんなことばっかり考えています。
ついに昨年の冬、埋没法で重たい奥二重を二重にしました。
ですが病院が良くなかったのか下手な施術をされ左右の二重幅はバラバラ、
1年と半分しか経っていないのに左目は平行二重から末広二重に狭ばっている。
やるせない。
わたしがこんなにも美に執着していると、
過去にブスだのなんだの投げつけた同級生たちはどんな顔をするだろう。
「綺麗になったね!」なんて言うだろうか。
あたりまえだろう。今のわたしは努力の結晶だ。
朝晩のストレッチは欠かさず、肌のケアだって必死でやって
化粧品や洋服、ファッション雑誌にいくら費やしてきたと思っているんだ。
夜通し自分の顔とにらめっこして
シワのない洋服の下は着圧タイツにコルセットでぎゅうぎゅうなのだ。
綺麗であたりまえだろう。
そして未来のわたしはもっと美しくなるのだ。
みてくれも心も、より一等美しくなるのだ。
これからも努力を続けていく。
もう絶対に誰にもブス、デブと言われたくない。
その言葉は鈍器だ。怖くて怖くて仕方がない。
「ノッポ」とバカにしたあの時のクラスメイト、見ているか。
わたしは今15センチソールの厚底サンダルを履いているぞ。
170センチをゆうに超えたわたしに「デカ!」と吐く青年もいた。
今のわたしは「ノッポ」か。
キレイだろう、おそらく今のお前より長身だ。
キレイだろう、大きいだろう。
「シュレック」といった中学の同級も見ているか。
わたしは今緑色のピアスを揺らしている。
そしてお前はシュレックを見たことがなかったんだろうな。
「シュレック」は心優しい、思いやりのある心も強い怪物なのだ。
あの時のお前は部活動の仲間たちと鼻で笑うようにそう言ったな。
わたしも「彼」のように心優しい思いやりのある、心も強い美人になるべく
気張っている最中だよ。
将来もし彼ら、彼女らに会う機会があるのならわたしは高いヒールを履いて
己が一等美しく見えるはずの深い寒色系のフレアワンピースを着て行ってやるのだ。
もしかしたら誰にも「キレイだ」と言われないかもしれないが、
その時のわたしは過去のどんなわたしよりも最上級に美しいのだろう。
美しくありたい、美しくありたい。
そう何度も唱える木曜の昼下がり。