サマータイムマシン・ブルース
私がこよなく愛する演劇集団について。
ヨーロッパ企画と名乗るその劇団は、その9割を40代のおじさんが占めている。京都を拠点として活動しており、定期的に行われる本公演をはじめとする劇団での活動のほか、メンバーはそれぞれドラマや映画への出演、脚本でも活躍している。個人名では伝わらなくても、顔写真を見せれば「なんかみたことある」という人たちばかりだ。
ヨーロッパ企画のHPやWikipediaを見ると、各メンバーの参加作品の多さに驚くはずだ。中でも、劇作家の上田誠は、枕詞につく作品が絞れないほどいろんなところに名前を連ねている。
全員の脳内にほんの少しずつ彼らが潜んでおり、プレデターの如く脳のエンタメを司る部分を侵食し続け、意思を乗っ取っていく。自分で選んで好きな作品を観てきたつもりでも、気づいた頃には、周囲が彼らの関連作品で溢れ、足の踏み場もないほどに。その間に、人知れずプレデ田誠が億万長者になっている。
そんな彼らの代表作こそ、「サマータイムマシン・ブルース」である。劇団の魅力を語れる相手が私の周りに少ないので、ここでこの作品について語りたい。2005年に同タイトルで映画化し、作家の森見登美彦氏との悪魔的融合により小説化・アニメ映画化もされているため、ご存じの方も多いと思う。
物語の内容及び結末は、上記のそれぞれのバージョンにおいて多少異なるが、基本的な構造は同じである。
好きすぎて何も観返さずにあらすじが書けてしまった。私の脳はとっくに上田誠に呑み込まれているようだ。
あえておすすめを選ぶなら映画版だ。散りばめられた要素がまとまっていく様子が初見でも分かりやすい。(永山)瑛太や上野樹里、ムロツヨシといった俳優の若々しい姿が見られる。ヨーロッパ企画の面々も出演している。個人的には、佐々木蔵之介演じる、映画版にしか出てこない先生が好きだ。終盤に彼が述べる、タイムトラベルの余白に対する考えが素敵で、未来への希望を感じる。
舞台版も魅力的だ。私は2005年の舞台版がやはり一番好きで、DVDで何度も観ている。巧みな場面構成や会話、早着替えなどによる、生身の人間が昨日と今日を行ったり来たりする様子がたまらない。また、映画版の先生による話は”冷蔵庫”によって説明され、美しいループが成立するのだが、この円環軸は舞台版にしかない。ヨーロッパ企画お得意の、登場人物それぞれがやりたい放題やった結果、もつれた糸がほどけるのではなく、もつれたまま繭となってクライマックスで羽化するような圧力の高さと勢いを楽しめる。最終的に舞台に全員集合するだけで高揚感がある。上田誠はこれを「劇圧」と呼んでいるようだ。
小説版及びアニメ映画版「四畳半タイムマシンブルース」も唯一無二の作品だ。「四畳半神話大系」「夜は短し歩けよ乙女」「ペンギン・ハイウェイ」などでwin-winな関係を築いてきた、上田誠×森見登美彦タッグで制作された。「四畳半神話大系」の世界線で、サマータイムマシン・ブルースのストーリーが展開される。キャラクターがすでに存在しているため、行動原理が一貫していて面白さに厚みがある。単体で観ても友人は大満足していたが、片方観ると両方観たくなるはずなので、先に神話大系を観るべきだろう。実写映画と同様に、未来のSF研のメンバーをヨーロッパ企画の面々が演じているのもアツい。作者なりの愛だ。
ちなみに、本家大元のヨーロッパ企画舞台版において、オリジナル作品の15年後を描いた続編「サマータイムマシン・ワンスモア」も存在する。「~・ブルース」を理解していないといけないが、未来人をも巻き込んでタイムマシン3台と格闘するアップグレード版となっており、オリジナルで残された余白に対するアンサーも含んでいる。後日譚として最高なので観てほしい。
群像劇でありコメディであるので、繰り広げられる会話の面白さや細かい伏線解決といった面が取り沙汰されるが、それらを差し置いても『SF』として異常に面白い。クーラーのリモコンが旅する壮大なスペクタクル、タイムマシンのはじまりはどこなのか問題、パラドックスと逆転する因果関係。タイムマシンが存在するという事実だけですでに宇宙規模のスケールであるゆえ、使用目的はしょうもないほど観やすい。登場人物たちにとっては紛れもなく宇宙の運命がかかった問題であるから、あたふたする様子がひたすら愛おしい。
細かい言葉の中にSFがつまっている。私のお気に入りは、クーラーのリモコン回収チームが昨日に飛んだあと、「でも昨日はリモコンを取られていないし、壊れた」という現在とのパラドックスに気づくシーンでの、
というやりとりだ。曽我がただトンチンカンなことを言っているようで、「過去改変によって生まれたパラレルワールドはオリジナルの世界線に収斂する」という仮説を立てている。もはやSF偏差値が高いのか低いのかわからない。
もうひとつお気に入りのシーンがある。タイムマシンによるなんやかんやが終わった後、「私たちが過去に行くことも含めて、時間の流れはあらかじめ神様によって決められているのではないか」という意見が出る。それに対して照屋はこう否定する。
無神論を唱えつつ、言葉上では神様を敬っている。史上最速の矛盾である。この類の、理解するまでに一瞬ラグが生じる可笑しさがたまらない。
サマータイムマシン・ブルースが生まれてから、もうすでに20年ほど経った。未来から来た田村くんの時代のほうが近いということになる。それでもなお唯一無二の輝きを放つこの作品もまた、紛れもないタイムマシンなのだろう。
追記
普段友人に語る時と同様に、敬称を略させていただきました。ご理解ください。
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