今、惹かれる「題名」
私、本屋さんって好き。
隣駅までウォーキングして必ずやることは、本屋さんを回ること。
隣駅には3つの本屋さんがあるので、とりあえず全部回る。最低でも2つ。そして最寄駅に帰ってきてからも2つの本屋を回る。
古本屋巡りをしてる人はいるけど、普通の本屋さんを回ってるのって私くらいなんじゃないかって思ったりもしてる・・・
そんなわけで、割と表紙を覚えてることってある。
最近、ずっと気になっているのがこの本。
古市憲寿さん著の「楽観論」。
「絶望って安易じゃないですか」って表紙に書いてあるんだけど、それを観るたびに、「うん、そうだよね。ほんとそう。」って心の中で呟いてる。
人間って面白いよね。
いつでもどこでも「絶望」を思う。
ちょっと仕事ができなくても、ちょっと仕事が来なくても、ちょっと思った結果と違っても、「絶望」を思う。
妄想だってそう。「絶望」ストーリーをでっちあげることだってある。
人間関係が悪いときとか、自分の思う通りにいかないときなんて特にそうだし。
それに、自分の意見に反対されただけなのに、自分という全存在を否定された気分になってしまうこともある。
自分という存在を否定されたら、まさに「絶望」ってやつだよ。
でもきっとその「絶望」も自分で生み出してる。
でもそれってきっと簡単な・・・古市さんの言葉を借りるなら、安易な選択をしてるのかもしれない。
絶望する、もうダメだって思う、もうできないって思う・・・そういうのって根拠のないこと。
逆に、絶対できる、なんでもできる、楽観的に捉える・・・って思うのも根拠のないこと。
このふたつを比べたら、絶望するってなんて簡単なことなんだろうって。同じ根拠のないことなのにね。
きっとさ条件反射的に絶望ってできるんだよ。超簡単。だって条件反射だから。
で、思うんだけど、長い間「絶望」という条件反射をやってきたなら、これからは逆をやってもいいかなって。
「絶望」という条件反射という癖を治してみようかなって思った。
だって、絶望することって、根拠のない自信なわけで、なんでもできるって思うことだって、根拠のない自信だもんね。
どうせ根拠のない自信というジャンルから選択するならば、「なんでもできる」っていうほうを選択したらいいって思う。
そんなことを思いながらの通りすがりの1冊でした。