「一生」を「命懸け」で泳ぐか、「一所」を「命懸け」でやりきるか
「一生懸命やってるんです!」
と言われることほど、実はがっかりすることはないです。
一生懸命やることなんて、当たり前。
ということだけではなく、たぶん語感の違いかもしれません。
「一生懸命」と「一所懸命」
一生懸命と言われると、「一生」を「命懸け」で泳いでいる感じがして、力尽きて倒れないか、溺れてしまわないかと不安になりませんか? わたしだけかしら?笑
それよりも、「一所」を「命懸け」で守り、やりきる「一所懸命」と言った方が、はるかにポジティブな感じがする。言葉本来の意味ももちろんですが、語感のイメージとしても、やはり「一所懸命」と言いたいよなーと感じます。
「一所」を「命懸け」でやる×100×100…、これが堀江さんのいう「多動力」じゃないのかというのが、わたしの理解です。
「トルママ」と「断捨離」
まったく話は変わって、校正用語に「トルママ・トルアキ」という言葉があります。
意味はどちらも同じで、「不要なモノを削除した後、文字間をつめずにあけておく」という指示です。
上が修正前、下が修正後ですね。
わたしはわりとこの指示が好きだったのですが、それは断捨離のイメージがあるからかもしれないなと思います。
自分にとって不要なもの、必要がないものを潔く処分する断捨離。でもスペースがあいた分、こじんまりした部屋に引っ越そうとか、他の物を買って再度埋めようとかするのではなく、「あけておく」ことが重要なわけです。
「トルママ」も同じです。
つめてしまうと、別の意味になる危険もあるため、これも「あけておく」ことが重要なんです。
「センス」か「知識」か
こんな風に、言葉に対してイメージを作れば語彙も増やせるのでは?という仮説の下、トレーニング用のドリルを作っているのですが、これがまた難しい。
わたしは言葉遊びを考えるのが好きなタイプですが、そうでない人も多くいます。それでも「語彙を増やしたい」とみんな言うんだな……。どうやったら楽しんで学んでもらえるんだろう?
語彙を増やすためには、語感に対して敏感になるしかないと思います。ただし、繊細になってもらうのには、センスが必要なのか、知識が必要なのか。慣れなのか、面倒くさがらないことなのか。
ここはまだまだ検証が必要ですね。
※写真は、横浜美術館で開催中の「ヌード展」で撮ったロダンの《接吻》です。発表当時はあまりに過激だと、布を被せて展示されていたのだとか。見えねーじゃん!
確かにすごい没入感でした。そしてでかい!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?