線を俯瞰する
35週と1日が経過した。
もうすぐ臨月を迎える私の中で、着実に固まっていく気持ちがある。
・子どもは他人である
・子どもは自分の人生の1つの要素にすぎない
・親になっても私は私でいたい
よく見ると同じようなことを言い換えているだけだが、要するにまあそういうことを常に自分に言い聞かせて過ごしている。
というのも、結局子どもは子どもで自分の人生をメインにして生きていくだろうし、そうしてほしいと心から思うからだ。
なんなら彼らが思うタイミングで親元を離れて自分の思うように生きてくれて構わない。まあ一応成人までは産み落とした責任があるのできちんと育てるつもりだけれど、分別がつくようになったなら無理に近くに居なくても良い。私は私で好きに生きる。ただ「助けて」と言われれば全力で救い出すからいつでも頼れよ、ぐらいの気持ちで行きたい。
所詮親子は他人だと思う。別の人種だ。
自分が大人になって人生を選択するようになって気付いた。
血縁を共通項として通じ合い続けるのは難しい。
それは寂しいことではなく、ごく普通の流れだとも分かった。
その時に受け入れられるよう、最初からきちんと線引きをしておく必要があるなと感じ、妊娠期を過ごしている。
逆に、パートナーとの関係性は血縁よりも大事なのかもしれないと思うようになった。結局死ぬまで一緒にいるのは配偶者だ。
交際、結婚、妊活、妊娠、出産、子育て、老後…という数多のプロジェクトを乗り越え、生活を作り、考えを共有し、最終的に死を見届けるのは血のつながっていないパートナーである。
よく考えれば当たり前のことなのだが、なぜか最近までこれに気付かなかった。「そうか、人生で1番長く一緒にいるのは彼なのか」と急に気付いた。
だからなんだという話なのだけれど。
自分の腹に命が来てくれて「家族」についてぼんやり考えるようになったからこそ分かってきたことのような気がした。
今日も胎動が激しい。元気で何よりだ。
狭いだろうけどあと2週間はお腹にいような。
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