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子どもと違うところ…

皆さまこんにちは。生まれて半世紀を過ぎましたが、「四十にして惑わず(不惑)」に逆行してむしろ惑うことが増えていて、「孔子ってスゲエな」と感心している50歳です。

https://www.shinchosha.co.jp/book/610820/

この本を読み終えて思ったことは、「人に伝えることの難しさ」。
その中身につきましては本を直接に手に取っていただければと思います。

この書のなかでは、主題の他にも感銘した箇所がいくつもあります。

「社会面の教育」とは

◯勉強嫌いの子に対して、教えることをやめて「替わりにやってくれ」と半ば投げ出した→皆真剣にトレーニングするようになった。力も伸びていった、
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子どもに何かを教えるとき「教えすぎていないかな」と考えさせられました。


◯子どもへの支援は大きく分けて、「学習面、身体面(運動面)、社会面(対人関係など)の3つになるかと思われるが、社会面ではほとんどの先生が「何もしていない」→系統だった社会面への教育がまったくない(社会面の教育=対人スキルの方法、感情コントロール、対人マナー、問題解決力といった、社会で生きていく上でどれも欠かせない能力)
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学校教育の根幹の問題です。教員のせいではなく、教育課程の問題だと思います。
私はこの社会面の教育の入り口になるのが「部活動」だと考えます。部活動で求めるものは、学校の授業のような「答え」とは違います。同年代の仲間同士であってもぶつかり合いや価値観の違いを肌で感じられ、それを解決する方法を模索しながら同じ目標に向かって取り組んでいく。なので中学生や高校生は部活動に取り組むべきだと考えます。
とはいえ外国の学校では「部活動」というシステムはほとんどないので、おそらく教育課程(授業)の中で社会面を学んでいると思うのですが、ではいったいどうやって学ばせているのか、気にはなります。

生真面目でなく遊び心を

◯虐待してしまう親の特徴(一般的には)=生真面目で「こうあるべき」といった固定観念が強い、自分の弱みを人に見せない、困っていることを人に相談できない、孤立している、対人関係が苦手、経済的な困窮もある、など。←軽度知的障害や境界知能の人たちの特徴ととてもよく似ている。
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一元的な考え方に固執してしまうことは、周りを巻き込んでしまいます。自分がそうなっていないか、改めて考えさせられました。


◯無人島で独り暮らしをしていると、「本当の自分の姿」は分かりません。つまり、自己を適切に知るには、人との生活を通して他者とコミュニケーションを行う中で、適切にサインを出し合い、相手の反応を見ながら自己にフィードバックするという作業を、数多くこなすことが必要なのです。
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人生経験の短い10代は何かとぶつかり合うことは当たり前なのかもしれません。でも親の世代は、他者とのコミュニケーションを数多く経験しているぶん、ぶつかり合いを避けられる能力を持っているはず。子どもは時折、親に対してムッとする言動をしますが、そこでケンカに発展しないすべを親は持っているはず(持っているべき)なのかも。

実際に私は子どもと言い争いをすることはほとんどありません。ただ、大人なのに子どもと同じような態度や感情をぶつけてくる人がいると、これにはムッとします。

何かの本で「どんな相手でも10歳だと思って接しなさい」と書いてあったことを覚えています。これは言い得て妙、ですが、大人の風貌を目の前にするとそういう対応はなかなかできず、ここは難しい課題だなぁと思っています。

最後までお読みくださいましてありがとうございました。

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