見出し画像

140字小説まとめ10

2023.7〜2024.4

何の事情だったか、小五の夏休みに叔母の家に預けられたことがあった。翻訳業をしていた叔母は子どもと打ち解けるたちではなく、会話に詰まると珈琲を淹れた。「貴方の言葉を訳す辞書があればね」独りごちる叔母と二人、遠い異国の飲み物を啜った。不器用な沈黙は心地よく、叔母を近しく思ったものだ。

#夏の星々140字小説コンテスト 「遠」no.1
共通言語だからって通じるとは限らない。

自分で自分がわからない、と泣く人に、貴方は貴方だ、なんて言う気はありません。胸に手をあててみてごらんなさい。人の手はもはや月にも届くのに、自分の心だけはこんなにも遠い。音を反響させて見えないものの形を探るように、懸命に発した言葉からこそ心は見えてくる。だから私は対話をするのです。

#夏の星々140字小説コンテスト 「遠」no.2
自分の形も心も自分だけではわからない。

悲しい報道に暗澹たる気分でテレビを消した。今がずっと続くよう願っても、時は過ぎ夏は終わる。永遠なんてあるものかよ、幸福であればある程に。怒りか恐怖かわからない感情のまま昼食の仕度にとりかかる。じきに、まばゆい一瞬をはち切れんばかりに内包したわが子が、笑顔で帰ってくる、はずなのだ。

#夏の星々140字小説コンテスト 「遠」no.3
永遠なんてないので、私はいつも怯えています。

空から無数の爆弾が降ってくる。敵性宇宙人の放った人類殲滅兵器なのだという。逃げ場がないのでただ見上げると爆弾は花火みたいに綺麗な光の姿をしていて、隣の人はスマホを向けている。せめて誰かを抱きしめて無駄でも足掻ければよかったのに、僕らはぼんやりするばかりで、だからきっと負けたのだ。

『せめて、さいご、くらい』

合唱祭の伴奏役に選ばれた。悪意ある選出なのは明白だった。「伴奏止まってもうちらは団結して歌いきろーねっ」だそうだ。私を笑い者にしたいのだ。練習もハブられたまま迎えた本番、私は見事に弾ききった。ピアノ、弾けないとは言ってないよ。拍手の中、私の奏でる和音に合わせて深く頭を下げさせる。

#秋の星々140字小説コンテスト 「深」no.1
全員ひれふせ、と叩きつける。

熱波から一転、厳しい寒さがやってきて、街は文明を壊す程の深い雪に埋もれてしまった。世界の半分がそんな様子で、寒い代わりに争いの火は消え、みんな静かに身を寄せ合っている。僕は懐に猫と空腹を抱いて束の間のぬくみに微睡むけれど、この子の餌が尽きたら僕も武器を持つのかな、とふるえている。

#秋の星々140字小説コンテスト 「深」no.2
一席をいただきました。

感覚全てを使って深く物語に没入できる能力は、十歳頃で失われてしまうそうだ。子どもの頃に味わった読書体験はもう帰ってこない。泣きたくなる現実を前に、せめて夢想する。きっと、物語の世界へ旅立った小さな私は、まだ心に帰ってきていないだけなのだ。ゆきてかえりし物語の、きっと途中なのだと。

#秋の星々140字小説コンテスト 「深」no.3
夢のような、夢そのもののような時間でしたね。

おばけ山の書道教室、と密かに私は呼んでいた。実家の裏山にあった小屋に、いつの間にか貼られた『書道教室』の貼り紙。住人を見たことはなく、通う者もない。小屋で独り生徒を待つ、先生の姿を思った。湿った土の匂いは墨の香りに似ていた。貼り紙はやがて風雨に破れ地に落ちて、今はもう、全てない。

『書道教室』

私を初めて見たその人は、仏頂面で「狭い」と言って、「新築がよかった」と隣に佇む人を睨みました。二人は諍いながらも私の中で生活を始め、一時は小鳥のような囀りに包まれもして、けれどいつかそれも静まり返り……その人は最後に一人、「広すぎるわ」と呟いて泣きました。私は変わりませんのにね。

#冬の星々140字小説コンテスト 「広」no.1
家視点の話。

同級生に変な奴がいた。「青空は醜くて、夕焼けは不愉快で、夜空は怖い」そう言って常に怯えていた。就職で地元を離れ疎遠になって数年後、彼が自らの目を潰したという噂を聞いて俺は天を仰いだ。想像してみる。どんなものだろう、頭上に広がるこの空が、酷くおぞましい世界とは。青空は、醜くて……。

#冬の星々140字小説コンテスト 「広」no.2
空を見上げて考えたこと。

友人がオナモミの実になってしまった。感受性の葉を広げすぎて心が傷だらけになったから、しばらく殻にこもることにしたのだそうだ。実から伸びる棘はしがみつく爪にも見えて、そんなになってもまだ人を求めるのかと胸が痛む。水をやれば芽吹くのかも知れないが、彼女の自由か、と思いそっとしている。

#冬の星々140字小説コンテスト 「広」no.3
佳作をいただきました。オチに悩んだ。

これは夢だとわかっている。薄氷のように美しい白昼夢。全ての音は遠く、景色は淡く発光して、いつか歩いた川べりの道を浮ついた足取りでたどる。いつも春で、いつも平和な、この世界を知っている。もう何度も来た。そして忘れた。懐かしい人が向こうにいる。目が覚める気配がする。立ち尽くして泣く。

『白昼夢』

冬に迎える死は意外と淋しくはなかった。春を心待ちに眠るのも悪くなかった。『いつも通りに寝て、もう目覚めない朝が来るだけ』と言って先に旅立ったあの人は空のどの辺りにいるだろう。嗄れた喉からはもう呼び声も発せないけれど。広い庭の隅で霜柱を踏みしめて歩く、そんな一生だった。充分だった。

『冬に迎える死は』

死んだ人はお空にいって、またいつか産まれてくるんだよ、というお伽話を幼い息子は信じている。ぼくはにせんにじゅう年にうまれたから、またにせんにじゅう年後にうまれてくるよ、と笑う。じゃあママは少し先に産まれて待ってるね、と私は応える。きっと私たちは二千二十年前にも同じ約束をしたのだ。

『二千二十年前に』

桜が咲くころ僕たちは、ようやく目覚めた心地もして、煙る空は何か特別な、はじまりの光のような気さえして。桜吹雪に翻弄されては、からからと急いで舞いました。いま、桜が散って僕たちは、まだ何者でもありません。空は鈍く、けれど光は注ぎます。僕は僕、貴方は貴方。さようならば、ごきげんよう。

「桜が咲くころ僕たちは』

万年筆の先が紙面を駆けると幾つもの星が飛び散った。紺青のインクでひかれた宇宙で、産まれたばかりの星が力強く鼓動を始める。数え切れない星粒の集まりに、銀河、と名前をつけた人と話をしたい。貴方の抱えていた寂しさのような畏れを、私も少し知っている。星散る筆で手紙を書くよ、彼方の貴方へ。

『星散る筆』

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?