『映像研には手を出すな!』の素晴らしきトマソン
最近私がとてもハマっていて大好きな作品が、漫画と、それを原作にしたアニメ『映像研には手を出すな!』。そして、『映像研』のアニメの9話に、私の大好きな「トマソン」が出た!!!!その嬉しさのあまり書いた文章です。長いですがお読みいただけると嬉しいです。
トマソンとは何か?
君は「トマソン」を知っているか?トマソンとは、こういうものや
こういうものを指す。塗り込められたドアや、隣接していた建物の屋根の跡、役割不明の部分的な庇(ひさし)、開いたら落ちてしまうような高所にあるドア。この他にも、建設途中のまま放置された橋、古い電柱の根っこや、どこにも続いていない階段などもトマソンに該当する。
トマソンという概念を生み出した赤瀬川原平さんの著書『超芸術トマソン』によれば、「不動産に付着していて美しく保存されている無用の長物」(『超芸術トマソン』p26 「町の超芸術を探せ!」)がトマソンである。塗り込められたドアは使えないし、どこにも続いていないドアや階段ももちろん使えない。壁に残る建物の跡も、無くてよいものだ。しかしそれらは撤去されることなく、綺麗な状態で保存されている。
(※記事に使ったトマソンの写真は全て私が撮ったもの。)
大好きなアニメにトマソンが出た!
ここからが本題である。大好きなアニメ、『映像研には手を出すな!』の第9話に、大好きなトマソンが登場したのだ!しかも複数!(※ここからアニメの内容に触れるのでネタバレ注意)
『映像研には手を出すな!』は、原作:大童澄瞳さん 監督:湯浅政明さん のテレビアニメ。NHK総合で毎週日曜24時10分から放送されている。内容をかなりざっくり言うと、高校生3人(途中で4人になる)がアニメを作るお話。この作品の魅力は、登場人物たちの作るアニメへのこだわり、キャラクターの動きの丁寧さ、細かく描かれる背景美術など様々だが、特に第9話では、現実世界の背景の素晴らしさに目を惹かれた。何てったってトマソンが描かれていたからである。
第9話は、このアニメの舞台である「芝浜」を歩き、そこを題材にアニメを作ろう!という話。この架空都市芝浜が、トマソンの宝庫なのだ。この芝浜の町並みに6つ(うちトマソンか微妙なもの1つ)、登場人物である浅草さんの描く絵に5つ、トマソンが登場する。
映像研に出てくるトマソンたち
まず登場するのが「無用橋」。かつて川だったところを埋め立てて道路にしたが、橋は撤去しなかったのだろう。派手でかっこいいトマソンだ。
2つ目に登場するのが、冒頭に写真でお見せした「高所ドア」。建物の外に向かってあるドアだが、開いたら確実に落下してしまう。
3つ目は水没した「無用階段」。水位の変化で使われなくなったであろう階段がそのまま残っている。
4つ目はどこにも続いていない無用階段。無用階段は「四谷階段」とも呼ばれる。『超芸術トマソン』で取り上げられた最初のトマソンがこの無用階段なのだが、それがあった場所が四谷だったことに由来する。「四谷怪談」のダジャレ。
また、芝浜地下街にある、地下深くに続く螺旋階段も、上から蓋をされており入れないので「無用階段」と言える。
そして、分かりにくいが、6つ目に「影トマソン」も登場する。
これは建物の壁面にくっ付いていたもう一つの建物の屋根や壁面が、綺麗に剥がされずに残った跡である。(「原爆型」という呼び方もあるが、あまり好ましくない)
これらのトマソンが登場した後、浅草さんが自分のスケッチブックを開く。ここにトマソンが5つ描かれている!スケッチブックの左ページを見て欲しい。
天空につながる無用階段(これはネットで「トマソン」と検索すると上位に表示される画像が元ネタと思われる)、建設途中で放置された橋、高所ドア...。今まで出てきたトマソンを、観察眼の鋭い浅草さんはしっかり見て覚えていたのだ!素晴らしい!嬉しい!
そしてこのシーンで浅草さんの後ろに四角い物体が映るのだが、これはトマソンかどうかわからない疑惑の物件である。
トマソンかわからないもの
スケッチブックを広げる浅草さんの背後に規則的に並んだ四角い物。一見、駐車場でよくみる車止めのように見える。しかし、前後の映像から、ここは狭い歩道であることがわかる。では、壁に車がぶつからないように置かれたただのブロックなのだろうか。トマソンは「役に立たないが綺麗な形で保存されている」ことが条件なので、このブロックに車止めとしての役割があった場合、トマソンと呼ぶことはできない。しかし私はここで、『超芸術トマソン』に載っている、これにそっくりなトマソンを思い出した。
(『超芸術トマソン』p203,p206 「おとなのかいだん」)
先ほどのアニメの画面と見比べてみてほしい。形や大きさが不揃いな点は異なるが、排水溝の向こうの壁の前に置かれている点がとてもよく似ている。実はこのトマソンは、『超芸術トマソン』においても、トマソンと判定して良いものか悩まれている物件である。「さて、これは芸術なのだろうか。それともやはり超芸術なのだろうか。それともやはり超芸術でも何でもない駐車防止用の物体なのだろうか」「これがトマソンなのか、それとも駐車防止用物件なのか、それともまた別の機能のあるものなのか、いずれにしてもハッキリしてくれ、という人もいるかもしれない。でも私はもうこれを見ているとその辺の理屈はどうでもいいと思う。仮に駐車防止用であったとしても、それは仮の姿であって、とにかくこれは美しい、それでいいではないか」(『超芸術トマソン』p208,p209 「おとなのかいだん」)トマソンの概念を作った赤瀬川さんも、この物体については保留し、とにかくこれは美しいからいい。という半ば乱暴な結論に達している。
しかし私はアニメで描かれたこれが、トマソンであるという希望を捨てきれない。その理由は、1.これほどまで丁寧にトマソンを描いている製作陣は『超芸術トマソン』を読んでいるだろう!と思ったから。2.この物体が、浅草さんが「トマソン」の絵を見せるシーンの後ろに描かれているから。実際はどうなのだろうか...。
とにもかくにも、私にとってフィクションの世界でトマソンをみるのが初めて経験だったので、9話を見た際には本当に感動し、嬉しさのあまり叫んだ。この文章を書いている今もその気持ちが収まらずにいる。
トマソンの「素」まで描かれる背景の素晴らしさ
このように、アニメ『映像研』9話には、トマソンが複数登場する。これだけでももうトマソン好きとしては感動ものなのだが、さらに私が感動したのは、トマソンの素となる建物が描かれていたことである。トマソンの素は私の確認できた限りでは二つ描かれている。
「高所ドア」は、外向きに設置された階段が撤去されたとき、もしくは渡り廊下などで繋がっていた二つの建物が切り離され片方だけ残ったときに出来るトマソンだ。
このシーンでは2階から地上へ続く階段がある家が描かれている。これが出てくるのは高所ドアの後である。トマソンができる過程を見せる、答え合わせ的なシーンだと感じた。
さらにこのシーン。これは「影トマソン」の素である。このタイプのトマソンは、建物の壁面にくっついていたもう一つの建物やひさしが撤去されたときにできる。この建物は、影トマソンの出るシーンの前に描かれている。
このように、トマソンの素となる建物が描かれることによって、架空都市芝浜にトマソンが多くあることの根拠が示されている。背景によってその根拠が説明されているのだ。このことにとても感動した。この作品は、登場人物たちのアニメへのこだわりはもちろん、作品自体のこだわりも素晴らしいのだということを、改めて感じさせられた。
そのこだわりに、私は救われた!
トマソンが、その素となる建物とともにこれほど丁寧に描かれたことに感動した私は、『映像研』の登場人物の一人のセリフを思い出した。キャラクターやモノの動きにこだわる水崎ツバメさん。彼女の印象的なセリフに、「どこの誰だか知らないけど、アンタのこだわりは、私に通じたぞ!!」「チェーンソーの振動が見たくて、死にかかっている人がいるかもしれない。私はチェーンソーの刃が跳ねる様子を見たいし、そのこだわりで私は生き延びる。」というものがある。
私この作品にトマソンが出てきたことによって、制作の方々のこだわりによって、確かに心が救われた。9話公開から一週間が経った今も、まだワクワクする気持ちが続いている。他の人にはどうでもいいことかもしれないが、あの背景に映った高所ドアたちは、確かに一人の路上観察好きの人間を救ってくれた。本当に感謝しています。
参考文献、出典
1)赤瀬川原平『超芸術トマソン』ちくま文庫,1988年,495pp
2)大童澄瞳 『映像研には手を出すな!』小学館,2017年,155pp
画像出典:© 2020 大童澄瞳・小学館/「映像研」製作委員会
画像はTV放映を撮影したものです。