ビルディングは、景色に塗れる(エッセイ詞)
−ビルディングは、景色に塗れる−
あの美しいビルディングは、周りの風景や、空の景色と混ざって、ステキだけど、いきなりそこに建ったわけじゃないし、それは人も同じで何かに進む途中でも、その姿は素敵で、すでに輝いているということ。
そんな美しいビルの様な建物は、自然の美と違って、手を加えて出来たものだけど、長い月日を経て完成したはずだし、きっと人生や夢も同じで、いきなりそこには建てないから、今はきっとその過程ということ。
自分は、無機質な外壁でも、頑丈な鉄筋コンクリートでもないから、周りを気にせずに好きな色で着飾りたいし、辛い時には、素直に誰かの力を借りたい。
そうすればきっと、自分の立ち位置も確かになって、みんなの風景の一つになれる気がするから。
だから、そんな自分ビルディングは、景色に塗れる。
あの高いビルディングは、ソラに向かってそびえ立っていて、立派だけど、余裕でそこまで辿り着いたわけじゃないし、それは月日と同じで、1日1日の積み重ねで、ようやくそこまで辿り着いたということ。
自分には、イチから始める余裕なんてもうないし、今さら1つ1つ積み重ねていく自信もなくて、かといって、始めたからには、やり遂げたいとか、やるからには1番を目指したいとか、それも全然思わない。
きっと完成なんて無理。だからこそ、ずっと未完成でいいなら、続けていこうかなと思う。試行錯誤しながら、手直ししながら、色々を重ねながら、やっていけるなら、楽しさも味わえると思うから。
だから、こんな私ビルディングは、景色に塗れる。
今日も、陽の明かりの下で、街の賑やかさに包まれながら、その風景の一つになって、夜の明かりを浴びながら、その夜景の一部になって、自分の居場所を確かめたいから、そんな明風景に、和える曲は、