しまだあやさん炎上記事と貧困の見世物化について考える
私には、興味のあることに対して一直線になる特性がある。
noteの記事やSNSでもその時々でお気に入りな存在ができると
その方の更新を毎日の楽しみとして送っている。
3月~4月にかけては岸田奈美さんの記事更新を待って
それを夜読んでから寝ないと落ち着かなかった。
(岸田さんのお母様である岸田ひろ実さんもしっかりフォローしている)
その時に初めて、note定期マガジンを購入した。
1000円払っても読みたいと思った文章だった。
彼女の2月から3月は怒濤の出来事の連続で
車椅子ユーザーのお母様が命のかかった手術
ダウン症の弟さんとの日々
祖母の認知症が進んでいく毎日
祖父が亡くなる
母の退院のち聖火ランナーとして弟さんと走る
など、苦しい中にも、独特のユーモアを交えて綴られる毎日に
励まされたり、一緒に苦しくなったりした。
聖火リレーの後は更新も滞り、内容も落ち着いてきたので
4月で解約してしまったが。
きっと、綺麗なだけの文章は人を引きつけない。
そこにその人の苦しみや悲しみ、弱さや怒りやドロドロしたものが
垣間見えるからこそ共感出来るのだと思う。
一方で、まるで小説の様な綺麗なエッセイを書かれる方の文章も
私は吸い込まれる様に読む。
雑食である。
冒頭リンク記事のしまだあや(島田彩)さんは、ユニクロ白Tシャツ買って泣くの記事が出た時に色んな方からこれは凄い文章だ!と絶賛されていたので
何気なしに読み、そのまま続けて他の記事になだれ込むほど
「読ませるのが上手い」人だった。
先日久しぶりにしまださんのnoteを見に行った所、なにやら謝罪の文面が出されていて、なんだなんだと問題の記事を読んでみた。
一部のコメントが荒れていたが、一読しただけではその「問題」が
強く感じられず、非常に読みやすい短編小説のような印象だった。
このエッセイの舞台となったのが大阪の西成地区で
島田さんがそこで出会った住人達との温かな交流を綴る内容だ。
中でも一人のホームレス男性と「デート」したことが
「ティファニーで朝食を。松のやで定食を」という題名の元となっている。
私は普通に良い話だなぁ、で読み進めてしまったが
西成という地域を調べるほどに、暗い深い問題にも気がついた。
まず、これは大阪市のPR記事であったのだが
PR表記が冒頭にされず、タグで小さくPRとつけられているだけで
非常に分かりにくいものだった。
ちなみに大阪市から880万円で委託を受けたのは電通である。
大阪市が進める「新今宮エリアブランド向上事業」の施策の一環とも明かされ、「新今宮ワンダーランド」とのコンセプトと
「来たらだいたい、なんとかなる」を合言葉に街のイメージ向上に取り組んでいる。
西成やあいりん地区というのは、大阪人でなくとも
日雇いやホームレス、生活保護に簡易宿など
カオスなイメージが頭に浮かぶ。
確かに、それを「ワンダーランド」として見世物にし
「観光スポット化」する事業は悪趣味だ。
そこに住み働く人達も、好き好んで
そこに身を落とした訳では無いのだから。
この記事は自身にあった実話を元に書かれています、と
後日追記されたが、PR記事の依頼を受けて西成に向かい
記事にするつもりで住人達と交流していたのか、という感じが
この地を知る人達には尚更、鼻についたのだと思う。
貧困のテーマパーク化という、そこに関わる人達を
見世物にする行政や企業のやり方と共に
貧困労働者を町から追い出す「ジェントリフィケーション」と呼ばれる世界的な事象の一例を知った。
その地に流れ着いた、色んな意味で困難のある人々を
じりじりとそこから追い出す様な動きのことらしい。
救う訳でなく、支援するわけでもなく。
そうなると日雇いで命を繋いでいる労働者や、ホームレスをしている
人達はどこへ行けばいいのだろうか。
一筋縄ではいかない歴史のある地域なのだと感じるが
見世物や臭いものに蓋というやり方でよいとは思えない。
問題の記事が出されてから1ヶ月が過ぎ、知り合いでも無いのに
しまださんの事が心配な私は、どうなったかなと彼女のnoteを
度々覗きに行くが更新は途絶えている。
少なくとも私はこの記事で西成について知りたいと思ったし
批判の声を上げた人達のおかげで、この記事のやり方の
どこに問題があったのか考えることが出来た。
また大阪が進める西成地区へのサブカル、エンタメ化に対して
知ることが出来た。
島田さんには、反省を生かして戻ってきて頂きたいと願う。
待ってるで。
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