美容室にて
近所のスーパーに隣接する美容室は、道路からの段差もなく、予約制でもないので、待ち時間があるものの、認知症で車椅子の義母を連れて行きやすい。
何度か利用しているが、義母にしたら毎回初めての場所で、「こんな所と違う」「いつもの人と違う」と言う。
その場では、昔の記憶とごちゃ混ぜになって現実が理解できないまま、美容師さんの声かけに小さく頷き、固い表情で髪を切ってもらっている。
耳の周りを短く切り揃えられたところで義母が、
「みじかっ…」「ちがっ…」と言った。
美容師さんは慌てて、
「耳は出すんでしたよねぇ。ダメでした?気に入りませんでしたか?」と言った。
「みじっっ、あんた、おかしいわ! あんた、そんなとこに座って!アホッ」と隣の椅子に座って見ていた私に、義母が声を荒げた。
「どうしました?」と目を丸くする美容師さんに私は、
「いつもこんなんです。言いたい言葉が出てこなかったり、思っているのと違う言葉が出てきたりで、イライラしてしまうんです。」と言った。
義母は、自分が思うように伝えられないことを私に当たる。
私は、八つ当たりを受けることが、全く気にならない。
怒りが私に向くのは、家族と他人との違いを認識できているということだ。
美容室を出て場面が変われば、そのうちに表情も和らぐだろう。
知り合いに会って、「髪切った?」と聞かれれば、「そうやねん。」とニッコリすることだろう。
待っているお客さんもおられるので、ここで時間を取っては申し訳ない。
私は、「大丈夫でーす。」と美容師さんの手が止まらないように声をかけた。
可愛らしいショートカットに仕上げてもらった。
しかし美容師さんは、「対応が悪くてすみませんでした。」と謝られた。
そうじゃない、義母もそうは思っていない、という確信があるものの、上手く説明できないまま、私も「こちらこそ、すみませんでした。」と言い、義母は仮面を被ったような無表情で、美容室を後にした。
美容師さんの対応や腕は良かったのに、かといって義母に悪気があるわけでもない。
誰も悪くないのに、若い美容師さんを傷つけてしまったかもしれない、と私の心にモヤモヤが残った。
スーパーでジュースとお菓子を買って、いつものお散歩コースに出た。
景色の良いところでオヤツを食べた。
気持ちの良い風が吹いている。
「美味しい?」と聞くと、義母は微笑んで、唐突に、
「ここを短く切ってください。」
と言った。右手でチョキの形を作り、耳元に当てている。
えっっ!? 今!?
「はい。」と私は答えただけで、その先の言葉が出なかった。
それが言いたかったんや。
自分でそれを言いたかったんや。
美容室を出てもう、30分が過ぎている。
場面も2つ変わっているのに、ずっと考えてたんや。
あの美容師さんに伝えたかった。
義母はこの髪型を気に入ってます、と。
帰り際にもう一度、美容室を覗いたけれど、とても忙しそうだった。
いったい、1日に何人のお客さんの応対をされるのだろうか?
後日、私も髪を切ってもらおうと思い立ち、その時に義母の話をした。義母が怒ってしまったことも謝った。
美容師さんは、「こう言ってはなんですが、何も病気でない方からも、突然キレられることはよくあります。いちいち心に止めていたら仕事になりませんから、ほぼ聞き流しています。」と仰った。
私は幾分か、誤解していたようだ。
美容師さんのメンタルは、想像よりも強い、ということ。
若いと思っていた美容師さんは、あろうことか、私よりも年上だった、ということ。
また2ヶ月後には、義母をこの美容室に連れて来よう。
混乱しながらも、変わらず生活している義母の姿を見てもらいたい。
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