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永遠の40代
「おかあさん、もうすぐ誕生日やん。」
カレンダーをめくりながら、認知症の義母に話しかけた。
「何歳になるん?」
「えーと、よんじゅうよん!」
義母は2年ほど前から、病院での質問も、知人との会話の中でも、年齢を聞かれると一貫して、42歳~46歳の数を答える。決してブレることはない。
時には、「いくつに見える?」というお決まりの枕詞をつけることもあるが、義母の場合は、実年齢より若くみられる自信があるとか、若くみられたい願望がある、というものではなく、本当に考えている、所謂、シンキングTIMEを取るために使っている。
その後、「えーー、見えなーい!」と言おうと構えていた人は、おそらく、至極真っ当な返しが宙に浮いてしまいそうになり、口をつぐみ、曖昧にうなづくのである。
戸籍上でいうと、義母はもうすぐ82歳だ。
「ごはんの支度をしなければ」「子どもの世話をしなければ」などと言って家を抜け出すケースは、徘徊をする高齢者によく見られます。
このような高齢者にとっての「自分の家」とは、自分が元気で幸せだったころに住んでいた場所のことです。一生懸命に子育てをしていたころの家、無邪気に遊びまわっていた子どものころの家、または意欲的に仕事に取り組んでいた当時に住んでいた家などです。
名医の図解 認知症の安心生活読本
著者 鳥羽研二 より
義母は徘徊はないが、自分について問われると、一生懸命に子育てをしていて、近所の産婦人科病院で日勤、夜勤もこなし、元気に趣味のテニスにも通っていた、40代の頃が思い浮かぶのだろう。
果たして、私はどうか?
義母と同じような立場になったとき、何歳の自分を思い浮かべるのだろうか?
脳に刻まれているのは何歳の頃だろうか?
私の輝いていた時代はいつなのか?
今からでも私の脳は刻んでくれるのか?
いささか不安になる。