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元教授、サバティカルでの海外滞在記 (7): スタンフォード大学 その2(定年退職153日目)

スタンフォード大学は、コンピュータサイエンスの歴史において重要な役割を果たしてきた場所です。かねてより訪れたいと思っていた、初期のコンピュータやインターネットに関する展示を行っている建物を、幸運にも現地の教授の案内で見学することができました。以下、その内容を簡単にご紹介いたします。マニアックな話が多く含まれますが(私が専門家でないため、一部誤りがあるかもしれませんのでご容赦ください)、どうぞお付き合いください。


展示は、確か「ゲイツ・コンピュータ・サイエンス」、通称ゲイツビル内で行われていました。ビル・ゲイツはスタンフォードの出身ではありませんが、多額の寄付を行いこの研究施設の設立を支援したそうです。ちなみに、グーグルの創業者であるラリー・ペイジやセルゲイ・ブリンなどもここの出身です(ゲイツのマイクロソフトとグーグルが競合関係にあるのは皮肉ですね)。


最初に目にしたのは、コンピュータ以前の「電気を使わない計算機」の展示(下写真:Computation without Electricity)でした。ここには、そろばん(中国式)、計算尺、対数表といった馴染みのあるものから、機械式計算機(学生時代に手回し式のものを見たことがあります(note、4/9))、プラニメーター(任意の閉じた図形の面積を測定するもので、不規則な形状の土地の面積を計算する用途がある)まで、様々な計算機が展示されていました。どれも電気を使わないことに、思わず笑ってしまいました。

Computation without Electricityの展示(上から時計回りに、そろばん、プラニメーター、計算尺、左上に小型の機械式計算機)


次に、電気信号の制御に関する展示があり、リレーから集積回路(ICチップ)への変遷が紹介されていました。下写真で見えているだけでも、リレー(1955年)、真空管(1956年)、トランジスタ(1948,1959年)と続き、次の写真で集積回路(1970年)も見えます。時代背景を示す資料として、ベトナム戦争の反戦デモでコンピュータが押収された時の写真もありました。

リレー、真空管、トランジスタの展示
そして、集積回路(ICチップ)へ
ベトナム戦争の反戦デモでコンピュータが押収された写真


初期のリレーベースのコンピュータの使用風景や、データやプログラムを打ち込むための IBM のカードとそのキーパンチ機、初期のスーパーコンピュータなども興味深いものでした(下写真)。IBMのカードは1ドル札と同じ大きさに設計されたという説明に、「それであの大きさだったんだ」と合点がいきました(タイトル写真)。

リレーベースのコンピュータの使用風景
IBM のカードとそのキーパンチ機
初期のスーパーコンピュータ


個人用のコンピュータ(パソコン)の先駆けとなった Xerox Altoも展示されていました。手元に置かれたマウス(説明書も見えます)でウィンドウを操作する、世界初のコンピュータだったそうです(アップルやマイクロソフトよりも先行していたのですね。商業的には成功しなかったようですが)。その後の IBM やアップルの初期モデルにも懐かしさを感じました。

パソコンの先駆けとなった Xerox Alto(左下に見えるのが箱形マウス、右上にその説明書)
IBMの初期モデル
アップルの初期モデル


インターネットの誕生に関するプレートもありました。当時乱立していた様々な通信方式を統一し、現在のインターネットでも使われている TCP/IP という通信プロトコルを開発したのがヴィントン・サーフとロバート・カーンです。プレートには彼らの名前が刻まれていました。ここで開発されたデータ転送技術が、全世界規模のインターネットへと発展していったことに感慨深い思いを抱きました。

インターネットの誕生に関するプレート


時間を忘れて展示に見入っているうちに、気づけば夕方になってしまいました。その夜は、教授のご家族とS先生と共に日本レストランで夕食をご馳走になり、久しぶりのお寿司などを楽しみました。海外の長旅での和食は非常にうれしかったです(サバティカルで海外に出て、まだ10日ほどでしたが)。

気づけば夕方に(大学内)


S 先生とサンノゼの街も訪れました(この時、初めてUberを利用しました(note、6/8))。アドビのビルなどを見学しようと訪問しましたが、事前アポイントがないため断られてしまいました。日本から来たことや大学名を伝えて粘りましたが、残念ながら効果はありませんでした(涙)。

アドビのビルには入れませんでした


翌日、Uber で呼んだタクシーでサンフランシスコ空港へ移動し、アメリカ化学会が開催される東海岸のボストンへ向かいました。初めてのアメリカ大陸横断となりました。時差が3時間あるため、ボストンに到着したのはすでに夜。教授とは同じ飛行機(ちなみに彼はおそらくビジネスクラス。私は世界一周チケットでエコノミーでしたw)で、到着後、Uber の乗り場まで一緒に来てくださいました。

初めてのアメリカ大陸横断:機上での夕暮れ


久しぶりのボストンです。この旅行記はもう少し続きます。どうぞお楽しみに!



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