懐かしの1990年代: ロードスターで巡った瀬戸大橋と四国一周顛末記 (元教授、定年退職247日目)
前回、プレストレスト・コンクリート(PC)工法による橋梁技術と、その進化版であるエクストラドーズド橋についてご紹介しました。1997年、卒業生の結婚式で松山を訪れた際、PC橋の代表作である瀬戸大橋を渡ることも楽しみのひとつでした。さらに私は、この機会に四国一周旅行を計画していました。
瀬戸大橋とロードスター
岡山でマツダ・ロードスター(2人乗りの赤いオープンカー)をレンタルしました。車好きの私は、特に馬力のあるスポーツカーに興味がありましたが、その時は天候にも恵まれたこともあり、思い切ってオープンカーにしました。
後に少々困ることもありましたが(詳細は後述)、素晴らしい旅の相棒となりました。このロードスターで、まず瀬戸大橋を渡りました。壮大な橋の構造と瀬戸内海の美しい景観にとても感激しました。
結婚式は盛大に執り行われました。新郎はその後もずっと松山に在住し、最近では海外子会社の社長として活躍していると聞いています。実は、松山には他にも数人の教え子が住んでおり、皆この地での暮らしを楽しんでいるようで、私も嬉しい限りです。
山道での絶景とハプニング
結婚式当日、私が式に出席している間、奥様は日本最古の道後温泉のシンボル「道後温泉本館」を訪れ、歴史ある湯を楽しんでいました。翌朝早くにホテルを出発し、いよいよ四国一周旅行のスタートです。国道56号から山道を経て四万十まで向かうルートを選びました。途中で宇和島の名物「じゃこ天」などを頬張りながら、絶景の山道をロードスターで快適に走行していました。コンパクトながらトルクの効いたエンジンは、山道でも素晴らしい走りを見せました。
ところが、道幅の狭い一車線道路で、ゴミ収集車の後ろに詰まってしまい予想外の困難に直面(その車はお仕事なので、遊びで走っている私たちは、もちろん文句を言う資格はありませんが、気になるにおいが直撃・・・)。フルオープンで走っていた私は、屋根の閉め方が分からず、後続車もいたため停車できず、しばらくそのまま走行することに。出発前に説明書を確認しておくべきでした。
清流・四万十川と高知での思い出
そんなトラブルもありましたが、ようやくの思いで四万十川に到着しました。その透き通るような美しい流れに、思わず息を呑みました。運転中はラジオを聴いていましたが、当時まだ新人だったユースケ・サンタマリアさんの声を初めて耳にしたのもこの時です(面白い名前だなと思いました。草彅剛くんとの「ぷっすま」や先日noteでも紹介した「踊る大捜査線」が始まる直前の頃でした)。
夜にはなんとか高知市内に到着し、初めての本格的な土佐料理を楽しみました。特に、肴として出された「ごり」の唐揚げが印象的で、これが「ごり押し」の語源だと教わり驚きました。翌日立ち寄った日曜市では、日本最大級の街路市の賑わいを体験。地元の人々にとっては生活の一部ですが、観光客にとっても新鮮な体験でした。
龍馬の銅像下での偶然の再会と初めてのグリーン車体験
桂浜で龍馬の銅像を眺めていると、結婚式で会ったばかりの卒業生と偶然再会しました。観光客がまばらな場所で、あまりの奇遇に驚きました(タイトル写真、下写真)。その後、また山道に入り、大歩危・小歩危を経て丸亀まで戻りました。これで、完全ではないですが四国ほぼ一周となりました。旅の締めくくりに、セルフサービスの讃岐うどんを楽しみ(自分でお出汁を入れたりするシステムが楽しかったです)、再び瀬戸大橋を渡って岡山へ戻りました。(タイトル写真、下写真)
帰りの新幹線は、連休最終日の大混雑でしたが、車掌さんの勧めで初めてグリーン車を体験しました。割高でしたが、おかげで東京まで爆睡できました。
27年前のこの旅は、今でも鮮明に記憶に残る思い出深い経験でした。長々と綴らせていただきましたが、読者の皆様にも、当時の雰囲気を少しでも感じていただければ幸いです。
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注1:マツダ・ロードスターのカタログより
https://www.mazda.co.jp/globalassets/assets/cars/roadster/common/pdf/roadster_catalog.pdf
注2:農林水産省ホームページより
注3:四万十市観光協会ホームページより