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もしもし、運命のひとですか。
気がつくと、すっかり穂村弘さんのトリコになっていた。くやしい。
脳内でこっそりほむほむ、ほむほむ、と小声で呼びかけてしまうぐらいトリコになっている。
だってなにを読んでも面白いし、言葉のセンスが抜群だし、素晴らしい短歌をよむし、かわいい。
40歳を過ぎて、夜中に寝ぼけながら菓子パンをむしゃむしゃ食べて、朝起きたらそこらじゅうにパンのくずが散らばっているなんて、かわいい。
でもほむほむのファンはみんなこんな感じでファンになったんだろうな、とおもうと、それもまたくやしい。
穂村さんのエッセイはどれも面白いのだが、わたしがとりわけ好きなのは
「もしもし、運命の人ですか。」
タイトルも装丁もすてき。ほむらさんの(謎の)恋愛観がぎゅぎゅっと詰まった一冊。
「あるとき、後輩と一緒に入った店で、注文を取りに来たウエイトレスの足首に包帯が巻かれていた。どきっとする。
この娘は本当は鹿なんじゃないか、と閃く。
あの包帯の下は漁師に鉄砲で撃たれた怪我に違いない。」
喫茶店のウエイトレスが、鹿。
そんなわけない。
だけど、ふつうの男女2人が地道にコツコツと関係性を築いていく「恋愛コミュニケーション」の地獄からぬけだして、「とくべつな相手」と付き合いたいと夢みるほむらさんには、包帯を巻いたウエイトレスが鹿に見えてしまう。
足に包帯を巻いて人間に化けているあなた。
きっとあなたは運命の人だ。
「動揺した私は一気にジョージルーカスを恨んだ。おまえが『スターウォーズ』を作らなければ、この世にヨーダなんてものがいなければ、俺はNさんをずっと可愛いと思っていられたのに。
責任者はおまえだ。」
会社に「いいな」と思う、Nさんという女の子がいた。飲み会でNさんのことどう思う?と聞くと、周りの男性陣からも「可愛い」と大人気。しかしひとりの同期が言った「でも、ヨーダに似てるよね」という発言で、ほむらさんのなかでNさんのイメージが崩れてしまい、魅力が半減してしまった、という話のなかの一文。
男女の好印象の話とはちがうが、わたしは親の好き・嫌いにとても影響されやすく、読んでいないのになんとなく好きじゃない作家や本があった。自分でも、なんで印象が悪いんだろうとふしぎだったのだが、あるとき、それらはすべて親がきらいな作家だったと気づいたとき、愕然とした。
わたしは、自分で読んでもないのに、母があの作家がきらいだという理由だけで、もう価値が決まっている‥子どもの吸収力は恐ろしいな、と子どもながらにそのときおもった。
「過去に実際につきあったガールフレンドのことを、そんなふうに思い返すことはない。普通に今頃どうしてるかなと考えるだけだ。それなのに、一度だけ微かに指先が触れ合った(料金受け渡しの際に)相手のことをそんなにも思い続けるのは不公平というか、バランスが狂っている。でも、わかっていても修正することができない。」
高速道路の料金所で、いつも料金係といえばおじいさんしか見たことがなかったのに、ある日若い女性だったときの話。彼女にあったのはその一回きりで、それ以降はまたおじいさんにもどっていた。謎めいた彼女のことを、ほむらさんは延々と考えてしまう。
これはすごくわかる。
以前勤めていた書店で、ある時期急に週2回くらいの頻度でお店にきて、毎回数冊絵本を買ってくれるお客さんがいた。わたしと同じ20代前半ぐらいにみえる若い男性で、店員に相談したりせず、いつもさっとスマートに選ぶ。なのに選ぶ本のセンスは抜群、背は高くひょろっとしていて、声はとても小さいのに必ずレジで「ありがとうございます」と言ってくれた。そりゃあ印象的だった。
彼は美術系の学生で、なにか絵本の研究をしているから、いつもまとめて買っているのかな?でもいつも選ぶのは高い絵本や画集をだし、学生にしてはお金がありそうだ。映画や小説も好きなのかな。どんな生活をしているんだろう‥‥無限に考えられる。
だからといって連絡先を知りたいとか、付き合いたいとかいうことではなく、ただ日常に現れたすこし神秘的な存在の、そのひとのことを考えたいだけなのだ。とつぜん現れた、非日常の「かみさま」的一般人。
こんなほむらワールドにはまっているときに、
「もしもし、あなたは運命の人ですか。」そんなこと、街ですれちがったひとにいわれたら、思わずいってしまいそうだ。
そうです、わたしが運命の人ですよ。