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徒然 #10



『コレも食べなさい、アレも食べなさい』

実家や、田舎の祖父母の家に行くと、毎回の食事でだいたいコレだ。
わかっている、作ったものや用意したものをいっぱい食べてもらえると、とっても嬉しいということ。
なぜならこれをやりがいに、わたしは十数年間、料理を提供することを仕事にしてきたのだから。

と、たぶん『食べること』は人である以上やめられないからさ、わかりやすく確実に可愛がる方法が、美味しい食事をたらふく食べさせる、しかないんだと思うのね(至極失礼!!!)。


小学2年生の夏休み、家族で焼肉を食べに行った。大食漢だったわたしは(((だから今もだよ)))、勧められるがまま、お腹いっぱいに焼肉を食べ、白米を食べ、デザートのリンゴシャーベット(こーれが美味かったんだ、この焼肉屋さんは)まで完食した。
美味しかったね、また来ようね、なんて幸せな気分で帰宅後、風呂あがりに胃の中をオールリバースした。

満腹で風呂なんか入るからだ、食べ過ぎだ、と父に怒られた気がするけれど、後で父も夜中に気分が悪くなってリバースしたと聞いた。
火が通ってなかったのか脂に耐えかねたのか、これについては何かしら原因があると思う。


父の体質完コピのわたしをなめないでほしい。ほんと遺伝子とは恐ろしい。。。


そこから少し食事が怖くなって、大好きなご飯をしばらく減らした。
リバースすることは具合が悪い時の症状として1番嫌いかもしれない。。。

と、同時に外食が苦手になった。今日は外で食べて帰ろうか、という、今まで飛び上がるくらい嬉しかったこのワードが、急に呪いの呪文みたいに聞こえて、え、家で食べようよ…と小さく呟いては、横で飛び上がっていた妹の顔を曇らせた。ごめん。

外食は苦手なまま、翌年の夏休み、突然食べることができなくなった。
医者に行ったら夏バテだと言われた。

『胃が全然動いてないですねぇ〜』

って先生が言ってたのをまだ覚えてる。
わたしはその時、わたしの胃だけが死んだと思ったから。もうご飯食べられないのかな、手術するのかなって思ったから。かわいい。。。

『ストレスが胃にきてるのもあるかなぁ、なんか気になることある?夏休みの宿題とか残ってない?読書感想文みたいなもんは、あとがきを読んで適当に言葉を足せばいいんだから、本なんて読まなくてもウンヌンカンヌン…』

そうなのか…それならすぐに書けそうかも…
なんて、得心したことについてはよく覚えてるもんだよな、、、


わたしはその後、この『読書感想文みたいなもんは…』の件を、幾度となく歳下の友人たちに助言した(やめろ)。



この日、緑色のバカ苦い粉薬をしこたま処方され、10日間ほどかけて徐々に回復し、事なきを得た。


ところが、ふしぎなことにその年から毎年、夏休みになると一定期間食事が出来なくなった。
突然、吐き気がして食べられなくなる。トイレに立て籠るも吐けない。寝込む。食べられない。気分だけが、ずっと、死ぬほどに悪い。

焼肉をリバースした年のことを体が覚えていて、同じような状況になると、発作的にこの症状が出てるのではないかと思った。身体が思い出してしまう、というような。大体その症状がでる直前に外食している。これがいちばんのトリガーかもしれなかった。

焼肉を思い出すと気分が悪くなった初年度。
翌年は某イタリアンレストランのガーリックトーストを思い出すと吐き気がした。そのさらに翌年は某ファミリーレストランのハンバーグ…などなど。まだまだ思い当たるけれどもそんな感じで、小学生の間、わたしは夏休みが終わると何故か激痩せしているという謎の児童であった。

(家庭環境疑われてたやろなぁ。。全くそんな話知らんけど、ご飯食べさせてもらえてないとか思われてたんやろうなぁ。。。)

中学生の間は夏バテ(?)してる間もなく部活で忙しくしていたけれど、外食が苦手なのは変わらなかった。なんというか、食べきらなければいけない!という勝手なプレッシャーをどこからか感じてしまって緊張して食べられなくなっていた。人に見られているという気持ちもあった。

これについては、大人になってから『会食恐怖症』というものがあるらしいことを知った。
症状や心理状態的には、完全にこれだった。

食べきれない、食べられない、ということを主張するのはなんとなく申し訳ない気がして言いにくい。もともとのわたしの性質もあるのだろうけれど、勧められると断われない。

今は外食することは再び飛び上がるほど嬉しく感じられるし、人よりたくさんご飯を食べられる身体(…もうなにも言うまい)で生活できている。
なにより美味しいものが好きだし、作るのも好きだ。作ったものを人が喜んで食べてくれるのも嬉しいし、好きなものを作って食べるのも好き。

仕事柄、わたしは食べ物を残すことに罪悪感を感じやすい。お米は農家の人が八十八回手間をかけて作ったのだから一粒残さず…派だ。
命をいただいているのだから…派でもある。
某忍者学校の食堂のおばちゃんのセリフ、全面肯定派。

でもその反面、食べきれない気持ちも、経験上わかる。あとひとくちが食べられないのは痛いほどわかる。何故かそれを食べると、いろんなことが終わるな…という予感がするんだよな。
なんだろなアレ。

食べられるということはありがたいことだな、と思う。でも、食べたくない時・食べられない時に、断ることに罪悪感を感じないでいたいし、感じないでほしいなって思う。

あらゆる人に向けて。


わたしみたいな常々多めに食べられる人が居れば頼ればいいし、残したって構わない。
ただそこに、感謝の気持ちさえあれば、それでいいんだと思う。


食べることが辛いことにならないように。

1日3回の食事が、いつまでもその日のご褒美であるように。

お腹いっぱいなことが、幸せであるように。


できればわたしはまたその手助けが、なんらかの形で少しだけできたらいいなって、思ったりしているのです。

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