海のはじまり#9、人は誰しも「選ばれた人」であり「選ばれなかった人」でもある

第1話から徹底的に「選択」をキーワードとしているドラマであるが、9話は本当に容赦がない。
登場人物全員が、誰かを選び、誰かを選ばない。

夏を選ばなかった水季
弥生を選ばなかった夏
海を選ばなかった弥生

嫌いなわけじゃない、大好きなのに。

時間のズレがとても残酷だ。

水季が、もっと早く(弥生さんと出会う前に)夏に海を会わせていたら?
夏が、海を育てると決意する前に、もっと弥生の本音に耳を傾けていたら?
もう少しうまく行ったかもしれないのに。



自分が弥生だったらどうするか考えた。
「海ちゃんのママにはならない」

そこから更に、「ずっと『弥生ちゃん』でいたい」と言うかもしれない。
ママは水季、それは永遠にかわらない事実だから無理に二番目のママになったりしたくない。
「弥生ちゃん」として海と家族になりたい、と思うかもしれない。

自分語りは置いておいて。
「弥生は、お母さんやることに乗り気だったのに、なぜ?」という点だけども、
「やってみたら、無理だった」本当にこれだけだと思う。
親をやるって体験しないとわからないこと。体験してみて、続けられないという感想が出るのはおかしいことじゃない。

弥生は自分を守った。
でも、私は海の気持ちも守ったと思う。
母を亡くした後に現れた父、とその恋人。
その存在を海のほうから「嫌」だなんて言えない。
弥生の選択も、ある意味「いるよ。好きな方に行きな」なのだ。
(もう関わらない、ではなくて何かあったら頼っていいと余白を残してくれている優しさ)

さて、夏の選択はどうであったか。
夏は、海が疑いようもなく我が子であることがわかった上で「父親として関わる、育てる」と一度決意したのであれば、もう後戻りはできない。
親としての自覚が出てきたのだろう。

子どもって、捨てさせる力がある。
自由な時間。趣味。友達。そして恋愛。
守らなければならない存在を前にすると、いろいろなことがどうでもよくなる。

夏と弥生を比べたら、弥生の方が子どものお世話は向いている。
ひとの子どもを預かる時に「遊んであげる」ではなくて「私の遊び相手になって」という誘い方をする。
迷子の子どもを不安にさせない明るい声かけができる。
外遊びにはネックレスの類は危ないと気がつく。
子どもがトイレに行きたいと言う前に声かけして連れて行く。
どれも夏には少し足りないところだ。

それでも夏は、不器用に失敗しながらでも親になる道を選ぶ。
大好きな恋人と別れても。
そして夏は気がついている、海を通して水季を見ていること、それが弥生を傷つけたこと。
あんなに泣くほど苦しいのに、弥生と別れたほうがいいとわかっている。

恋人でいられる最後の時間を惜しむ駅での二人は、子どものことなど忘れているようだった。

「恋のおしまい」でもそう、このドラマは子育てと恋愛は両立できないとはっきり言う。
これは、全ての大人が胸に刻まねばならないと思う。
両立しようとして、傷つくのは子どもだ。
水季も夏も、たぶん津野と弥生もそれを分かってる。

夏の両親が、なぜ上手くいったのか。
ゆき子さんが話したように、お互いに実子がいるのは大きかっただろう。
それに、子どもがいるとわかって交際するのと、あとから分かるのとでは全く違う。
そして、「家族」をやろうとしたからではないだろうか。

個人的には、恋人になりたい人と家族になりたい人は少し違う。
恋人なら良いところだけを見て、楽しいことだけ共有していればいい。
家族になるには、面倒なことも共同作業になるし、汚れ仕事も出てくる。例えば、体調が悪くても家事は待ってくれない。それを、ああだこうだ言いながらも協力しながら頑張れるかどうか。

だから、恋愛の先に当たり前に結婚があると思わない。恋愛結婚で上手くいくとすれば、たまたま家族に向いている二人だったという結果論ではないだろうか。

夏が、恋と我が子を天秤にかけて、ほんの少し傾いたのは我が子のほう。
恋人が去ったあとは、天秤がぐっと下がったように見えた。
南雲家の玄関で海をきつく抱きしめるシーンの緊迫感。幸せというよりは、背水の陣という感じでヒリヒリした。

水季に選ばれず、弥生に選ばれなかった夏。
海に気持ちが向きすぎて、背負いすぎて、海に負担がかかりそうな予感。
海も夏を選ばなかったらどうしようかと背中が冷たくなった。

どうか穏やかなラストを迎えてほしいと願うばかり。
ドラマ後半、ますます目が離せない。


目黒蓮さん、休養からの復帰おめでとうございます。
最後まで走れるように、ここで休めて良かったのかな。
どうか健康で。

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