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「ゴジラー1.0」感想~今、あらゆる顔のゴジラと自由に戦い続けるために~

「ゴジラはいつどのような形で現れてもおかしくない。だからこそ、日本(場合によっては世界)の人々は命を大切にして生きる練習をしておきましょう」

そんなメッセージを感じた映画でした。自然災害、戦争、未知のウイルス、不況etc……ゴジラを色々なことに当てはめてみることは可能で、戦争で散々傷を負った直後に、未知の怪獣に翻弄される人々の「底無し」状態に胸が苦しいほど共感することで、現在を生きる私達とも繋がりがある物語として観られるのではないでしょうか。

以下素晴らしかった点と課題に感じた点を書いていきたいと思います。(ネタバレあり)


(1)ゴジラが中心の映画ではあるが戦争について丁寧に描かれていた

ゴジラの破壊も凄まじいですが、現実に起きた戦争による破壊は更に凄まじく、多くの人々が犠牲となり、生き残った人々も大きな影響を受けました。

戦争末期の「どうせ負けるんだから死ぬのもなあ」という厭戦気分や、主人公のように、特攻機の故障を偽る「卑怯な手」で生き延びる人の描写もあります。

敗戦直後は逆に生き延びた人が「死ねなかったこと」を、消えていった戦友達に申し訳なく思い苦悩したり、主人公も「卑怯な手」を大きく悔やみ、内面での戦争が終わりません。

また、研究者や、前線にも出てない若者や、復員兵が一緒になって古びた木造船で機雷掃海に向かうのも「立場も地位も戦争によってフラットになった」ことをリアルに表現していると言えるでしょう。(もちろん戦時下でも残された秩序や、戦争だから強化されてしまった身分秩序もあるでしょうが)

戦争末期と敗戦直後の雰囲気、人々の言動や内面を丁寧に描くことで、それがゴジラとの戦いでどう変わっていくか、鮮やかに浮き上がります。

(2)ゴジラと戦いながら、軍国主義の残滓と戦う人々が描かれていた

生き残ったことを悔やみ、主人公のように死に場所を求める敗戦直後のような時代は異常です。一方、特攻や玉砕を当たり前のように作戦に取り入れるような、人命軽視が改められようとしていた時代でもありました。

日本が自前の軍隊を持たず、米国もソ連への刺激を恐れ、ゴジラに軍事力行使をしないため、急遽集まった「民間の有志」。実際は元軍人が多いのですが、元海軍技術士官の野田を中心に、戦時中の人命軽視の日本軍では無い組織を創り上げて行きます。

また、戦争末期に自らの「卑怯さ」も原因で、多くの戦友をゴジラに殺されてしまった主人公は、ゴジラ襲撃時の生き残りの整備士を見つけ出し、未整備の最新鋭戦闘機でゴジラに特攻すべく計画を練ります。

しかし(主人公の「卑怯さ」で自分以外の戦友が殺されたため)主人公を恨んでいるはずの整備士の発案により、特攻では無く、爆弾を積んだ戦闘機だけゴジラに突っ込ませ、直前に脱出装置で生き残ることになります。

ゴジラを倒すべく主人公が出撃した後、整備士は「これで全て終わらせるんだ」と言いますが、それは「特攻して人生終わりにしろ」では無く「『死ぬことへの執着』を含めて終わらせろ」という意味だったのだと思います。

日本の集団と個々人の内面に残る軍国主義という怪獣と葛藤し、克服していくことが、本作品の大きなテーマの一つだったと思います。

(3)ゴジラ登場のタイミングの絶妙さ

ゴジラが海から登場したり、街に上陸したり……ゴジラが映画の中心に来るまでの流れも、ゴジラ映画の醍醐味と言えるでしょう。

一方、ゴジラ映画は無数に作られており、登場のタイミングや登場方法はある程度予測できてしまうものではあります。

本映画はゴジラ登場まで変にもったいぶることはせず、物語の序盤で奇襲に近い形でゴジラを登場させます。そして物語の中盤以降、序盤を大きく上回る迫力で、巨大化したゴジラが海中から現れ、軍艦を破壊していきます。マンネリを防ぐ物語のヤマの作り方が良いと思いました。

おかげで胸の底にある恐怖が、ゴジラ登場の予感とともに浮かんでくるような臨場感を味わえました。

(4)ゴジラに遭遇する「人民の視点」が丁寧に描かれていた

ゴジラが戦争の傷跡深い東京に上陸し、空襲を免れた銀座等の街の、絢爛な建物や、電車といったインフラを容赦無く破壊していきます。
襲われる人々、あまりに巨大な怪獣を見上げるしか無い人々、逃げ惑う人々、至近距離で実況中継を続けるが無事では済まない人々等、市井の人々の動きや表情に肉薄するだけでなく、時に人々の視線からゴジラがどう見え、迫って来るのかすら分かるようになっています。

それらはどこか戦争ともシンクロするところがあり、胸が苦しくなります。

戦争を丁寧に描こうとしたからこそ、ゴジラと対峙する人々もまたしっかり描けたのかもしれません。

(5)『シン・ゴジラ』へのリスペクト

ここは素晴らしかった点というより発見点なのですが、補給を軽視した旧日本軍への体質を問題視した野田のセリフは、同内容のセリフが『シン・ゴジラ』にもありますし、対ゴジラ作戦の命名方法や、知恵を尽くして作戦を練り上げて行く様子も、どこか『シン・ゴジラ』を彷彿とさせます。

しかし私にとって一番重要な『シン・ゴジラ』との共通点は「主流では無い人々が集まって、国の命運を賭けた戦いに立ち向かう」点ではないかと思います。

『シン・ゴジラ』でも、普段は中心で無かったり、出世コースを外れた人達が半ば有志のように集まり、ゴジラと戦う作戦に参加していきますが、本作でも、国では無く民間の作戦に元軍人たちが集まり、(強制参加では無いことが十分保障された上で)有志的に参加者が決まり、国からの援助や武器の融通もあるが、十分では無い状況下で作戦が練られていきます。

しかもついこの前終わったばかりの戦争で国の中枢が破壊され、しかもその国が随分と無責任であったことへの不信感や絶望感が、元軍人の間でも共有されています。

この点は後述しますが、本作を現代を生きる私達がどう見るかという点でも大切だと思います。

(6)ストーリー内での伏線回収の綺麗さ

(2)の後半で取り上げた整備士による「特攻では無く、実は生きることを、主人公に選ばせていたことが後で分かる」点等、ストーリーの転換や伏線回収、それによるセリフの意味が変わるといった点が見事でした。逆に綺麗過ぎて、少し結末の予想が付いてしまったくらいです。

映画でも、時々伏線回収が無理矢理だったり、回収し切れていないものがあったり、分かりづらいものがあったりしますが、本作では私が見た限り、全くそういったことはありませんでした。脚本が見事だったのでしょう。

(7)ジェンダー視点から見る評価できる点と課題点

映画の中での女性の描かれ方や物語の中での位置づけ等、ステレオタイプ的描写に対する目線は昨今厳しくなっており、重要なことだと思います。

本作では、女性キャラだからといって無駄に殺されたりすることも無く(寧ろ生きるよう物語の展開が工夫されている)戦後の風潮としての女性の社会進出や活躍を描いている点は評価できます。

一方で、(時代の制約があるものの)性別役割分業的な描写が目立ったり、主人公と暮らすこととなる大石典子が、最初は過酷な焼け跡をたくましく奔放に生きている(この描き方は素晴らしいと思います)のにいつの間にか、おしとやかになっていたり、その大石がゴジラの熱線に吹き飛ばされてから、最後に実は生きていたと分かるまで登場しなくなり、ほとんど男性中心の物語になってしまったりといった課題点もありました。

男同士が呑み屋でぶつかったり、殴り合ったりしながら絆を深め、集団でゴジラに立ち向かっていく……いくら軍国主義を克服しても、どこか日本人男性同士のホモソーシャル臭がしてしまい、途中僅かですが冷めてしまうシーンもありました。

ただし、ここは難しいところでもあり、(今でもジェンダー不平等は残っているのに)敗戦直後という時代で、何の説明も無く性別役割分業が克服されていたら不自然かつ安易ですし、有名な女性狙撃兵がいたソ連等と違い、当時の日本で、女性が普通に兵器を扱いゴジラと戦うという設定が作りにくいのも確かです。

それでも、物語の中に意外性や抜け道を用意して、ステレオタイプを相対化していくのが映画のマジックではないかと思いました。

(8)最後に~今の私達と敗戦直後のゴジラを巡って~

監督はパンフレットの中で、コロナ時の政府の機能不全等に触れながら「自分達で何とかするしかない現代」と敗戦直後の共通性について語っています。

「失われた30年」というゴジラ級の災害の後、コロナという未知のウイルス(生物という点でゴジラとの共通点もあります)が怪獣のようにやってきて、また地理的には遠いですが、無関係では無い戦争が目立つ形で報じられるようになりました。

数々の混乱に対して日本政府も、場合によっては国際社会も対応できておらず、崩れかけている旧秩序に何とかしがみついて面目を保っている状況です。しがみつくことは一時の安心を生み出しますが、同時に誰かを抑圧することにも繋がります。

そんな中、日本社会では、スポーツでも文化でもビジネスでも教育でも、あらゆる分野で「旧時代の上下関係やハラスメントとは無縁だが、効率性と地道さを追求し、フラットかつ深い人間関係で結果を出しているコミュニティ」が次々と生まれ始めています。世の中の主流じゃない人達のコミュニティも多いでしょう。

それらの中には、あまり大っぴらにすると旧秩序からの抑圧に潰されてしまうから、半分クローズドにして、徐々に広がっているコミュニティもあるかもしれません。

しかしどのコミュニティも、旧秩序と戦いながら、予期せぬ出来事への対応力を育んでいる点では変わらないでしょう。

それこそが、内なる軍国主義と戦いながら未知の怪獣ゴジラと戦った人々と現代の私達を結ぶ糸であり、本作の一番最後で再びゴジラが目覚めたように、繰り返し戦っていかなければいけないのだと思います。

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