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ストコフスキーの1970年ロッテルダムライヴ

本日も気の向くままにクラシック音楽オタクネタの記事を書きますよ。それでもよいというかたはどうぞお読みください。(きのう就労移行で書いた記事のはりつけです。)

私がフランクの交響曲を知ったのはいつか…。大学に入ってからです。大学オケの候補曲にしばしば上がっていたのです。自分がパートリーダーだったときに、慎重に推薦したことも覚えています(フルート的にできると思ったから…。その理由であまり他の人が推していなかった曲で推薦したのがこのフランクとシベリウスの7番でしたね)。生で聴いたのはなんと東京時代に1回、東京を去ってから2回だけです。いずれもアマチュアのオーケストラです。この曲はもっぱらCDで楽しむ曲でした。

最初に聴いたのは、おそらくこのロッテルダムライヴの2日前のアムステルダムライヴです。ストコフスキーがオランダ放送フィルに客演したときのライヴ録音でした。その30年近く前に買ったCDは、いまだに持っています。新宿のHMVの店員さんが、やたらこの演奏が好きであり、盛んに宣伝文句を書いてお店に平積みのようにしてCDを売っておられました。

フランクの交響曲の好きな仲間はいました。ファゴットを吹いていた調子のよい仲間が大好きで、とくに第2楽章の冒頭の、弦のピチカートとハープのところを「オレのフランク。ポン、ポン!」と言って喜んでいました。でも、私の知っている時代に東大オケがフランクの交響曲を取り上げたことはありません。

ここまで私がフランクの「第何番」と書かないことに気付かれたかたもあるかもしれませんが、フランクの交響曲はこのニ短調の作品しかないと思われますので、この「フランク」だけ言って通じることがほとんどだと思います。「ビゼーのハ長調」も同様の通じ方をする交響曲です(もっともビゼーは交響曲を1曲しか書かなかったわけではないようですが、ビゼーも有名な交響曲はそのハ長調だけです)。

フランクついでにもうひとつ書きますと、ニコレの演奏するヴァイオリンソナタのフルート版のCDも当時から持っていたことです。これも気に入っていた曲です。私のフルートの仲間は、ニコレが好きで、ニコレに師事した先生に習っていましたが(私の先生もニコレに習っていましたがそれは偶然で)、彼女もフランクのソナタをレッスンで習っていたとき、私がニコレの演奏するフランクのソナタのCDを持っていることを聞いたとき彼女は興奮のあまり何かを落としたという記憶があります。それくらい前から持っているニコレのフランクのソナタですが、これはまたいつか別の機会に書きましょう。

つぎに私がフランクの交響曲のCDを買ったのが、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団のSP時代の古い録音でした。ストコフスキーのピアノを弾きながらの解説音源つきでした。ストコフスキーはこのころ、あまり音楽を知らない人に向けて、ベートーヴェンの7番、ブラームスの1番、ドヴォルザークの新世界、シェーンベルクのグレの歌など、ピアノを弾きつつの解説音源をつけていました。もっともピアノを弾いているのは当時のストコフスキーのアシスタントであったロジンスキであったようですが、いずれにせよ大野和士さんと違って和音などに間違いはないのでした。とにかくそのような歴史的録音も買いました。ストコフスキーはSP時代に2回、フランクの交響曲を録音していたようですが、両方とも入手しました。

つぎがそのオランダ客演時のデッカの録音のCD化でしょう。それがCD化されたときにすかさず買いました。ストコフスキーのデッカ録音のいくつかが発売されたときにすかさず買ったものが少しあります(いまでも持っているのがロンドン交響楽団のブラームス1番です)。またもその新宿のHMVの店員さんがしきりに宣伝文句を書いて平積みにしていました。よほどこれがお好きな店員さんなのでしょう。このころかもしれませんが、だんだん世の中にインターネットというものが普及しはじめました。私が当時、通っていた教会でも、「ホームページ」を作り始めました。私の2個上の(当時、私が24歳、彼が26歳くらい)伝道師が、作り始めたのです。正確には彼が始めたわけではないかもしれませんが、彼は更新を任されていました。それで、私も連載を持たせていただいていました。私の5歳くらい下の仲間がジャズのオタク記事、私がクラシック音楽のオタク記事を書き始めました。最初の記事がグリーグのピアノ協奏曲だったと思います(これも思い入れのあるCDがあるのですが、意外にもnoteでは記事にしていない気もします)。それで、フランクの交響曲も書いたのです。ストコフスキーのオランダ放送フィルの演奏です。ストコフスキーは柔軟にテンポを動かし、第3楽章ではクライマックスに、スコアで見る限り聴こえない対旋律をホルンで補強したのち大幅にテンポを落とす作戦で、大きく盛り上がらせています。これは、フランクがそこでテンポを落とさないように指示している関係で、楽譜に忠実に演奏する限りはストコフスキーのような表現は出ないため、ストコフスキーの「ひとり勝ち」となっているのです。先述の新宿の店員さんもそこが気に入っていたと思います。

これについては、このころまでには買っていた外山雄三指揮神奈川フィルのCDに入っているこの曲の演奏が対照的です。外山雄三さんは意固地なほどテンポを動かさず、感傷的にならずにフランクの交響曲の名演奏をなしとげているからです。このCDの記事はかつて書いたことがあると思います。そのころいた市民オケがシベリウスの交響曲第1番をやるタイミングで買ったと記憶しています(当時、シベリウスの1番をやることになっていたので)。シベリウス1番とフランクという組み合わせのCDでした。

先述のとおり、私は長いことこのフランクの交響曲の生演奏を聴いたことがなく、もちろん自分でも演奏したことがありませんでしたので、長くCDだけの付き合いの曲でした。あるとき、メータ指揮ベルリンフィルの、この曲とサンサーンスの交響曲第3番のCDを買いました。ずいぶんフランクの交響曲のCDをたくさん持っていたことになります。このメータ盤は、当時のベルリンフィルがかなりいけいけどんどんのような元気な状態にあり(戦後、新しく入団したベテランの定年の時期で、新しい若手のたくさん入った時期だと思います。パユもそのひとり)、サンサーンスもかなり強烈ですが、フランクも、悪い意味でマーラー的になっており、フランクの味わいがなくなっているように感じられたものです。これはしばらく聴いたのち、手放すことになったCDです。

さて、なかなかロッテルダムのライヴ録音の話になりませんが、これには思い出があります。この演奏会は伝説であり、ラヴェルの「ジャンヌの扇」ファンファーレ、それからこのフランク、そして、プロコフィエフのアレクサンドル・ネフスキー・カンタータの演奏された演奏会なのです。「ジャンヌの扇」は当時のフランスの作曲家の合作で、ラヴェルはファンファーレを担当したということです(私は「ジャンヌの扇」全曲はまったく知りません)。プロコフィエフのカンタータは、映画音楽から作られた声楽作品で、ストコフスキーはこれをアメリカ初演するほどの得意な作品でした。デッカは、ラヴェルとさきほどのフランクのみレコード録音しました。ストコフスキーのプロコフィエフのアレクサンドル・ネフスキーは、結局、正式なレコーディングは残らなかったことになります。しかし、フランクの交響曲が残ったことだけでもありがたいことです。

少しプロコフィエフの話もいたしますね。これは、東大オケのときのホルンの友人で好きな仲間がいました。彼は映画そのものの音楽のCDまで持っていて、私に貸してくれるのでした。私もストコフスキーの指揮でCDを買いました。これはオランダ放送フィルのアムステルダムのライヴかもしれません。マニア音源で少し残っているとはいえ、ストコフスキーのこの曲は、結局、このオランダでの演奏が最も状態がよいと言えます。

ずっとのちに、ある仲間が地元のプロオケで、プロコフィエフのアレクサンドル・ネフスキー・カンタータに合唱で出演することになりました。なぜか聴いていませんが、その日は前半がハチャトゥリアンのフルート協奏曲であり、聴いていればそれぞれ生で聴く機会が唯一であった曲にはなります。というわけで、私はこの曲を生で聴いたことはないのです。彼女はクリスチャンでしたが、歴史上のアレクサンドル・ネフスキーが、乱暴者で、この人物が正教会で聖人である(らしい)ことにまゆをひそめていましたが、そのようなことは(少なくとも音楽と)関係ないと私は思います。このときは小泉和裕さんの指揮だったと思いますね。

ときどき出る話題ですが、私にはオランダ人のクラシック音楽マニアの友人がいます。彼とはインターネット黎明期からの付き合いです。彼のおかげで知ったストコフスキー音源として、1950年ごろのアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団ライヴがあります。この日は4曲プログラムであり(ストコフスキーは4曲プログラムを好みました)、演奏順は知りませんが、ベルリオーズのローマの謝肉祭序曲、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、ファリャの「恋は魔術師」、ブラームスの交響曲第2番でした。これはわけてもブラームスの第2番がびっくりするほどの名演奏で、たまげたものですが、それはまた日を改めて書くことにいたしましょう。そんな彼とは、2003年ごろに東京で会いました。2004年であったかもしれません。私は「論文の書けない院生」だったころです。日本のマニアと会いました。スパゲティを食べ、帝国ホテルのロビーでえんえんとコーヒーを飲みながらクラシック音楽オタク話をし続けたものです(帝国ホテルはストコフスキーが1965年に来日したときに宿泊したホテルでした)。外国人の年齢はわかりませんが、彼は当時でかなり年上に見えました。彼の口から「セザール・フランク、アレクサンドル・ネフスキー」という言葉がもれました。彼はこの1970年の伝説的な演奏会を生で聴いているのです!彼とはそのあとも20年くらいメール友達ですが、だいたい彼の話によるとこうです。

もともとストコフスキーには興味があったということですが、そのストコフスキーがオランダに来ることになったので、ロッテルダムの演奏会を聴いた、ということでした。この伝説の演奏会を聴いているのです!(そりゃけっこうな年齢でしょうね。)

そしてようやくこのCDの話になりますが、私が長い学生時代を終え、就職をしてから、このロッテルダムライヴはCD化されたのです。私は買いました。驚きました。ストコフスキーのマジックが全開だったのです。

最初のラヴェルもオープニングとしてふさわしいですが、すごいのがフランクです。流れるようにオケのテンポを変え、おそらくはじめて指揮するオケで、自分のやりたいようにやらせてしまっています。すごいことです。フランクという作曲家は、当時の人の書いた文章では、とにかく即興的にテンポを動かしながらオルガンやピアノを弾く人であり、硬直したテンポはフランクの演奏にふさわしくない、と書いていた(誰だか忘れてすみません)と思いますが、まさにストコフスキーのフランクは自由自在でした。アムステルダムのライヴには、第2楽章冒頭にコーラングレのミスがあるほか、全体的に「あまりうまいオケではありませんね」と言われるような出来だと思うのですが、このロッテルダムライヴは特別の出来です。最初に聴いたときの感激は忘れられません。

後半のプロコフィエフも最高であり、これでこの日の演奏会はすべてが1枚のCDに収まったのです。ストコフスキーの演奏会全体の収録されたCDは、じつはそれほど多くはないのかもしれませんが、この1970年ロッテルダムライヴはもっともうまくいったもののひとつであると言えるでしょう。先述のオランダ人マニアは、この演奏会がCD化されて世に出ることに尽力したひとりであり、自分の名前がそのCDに刻まれていることを誇りにしています。そんな人と知り合えている私もまた誇らしいことです。

このCDもまた、忘れがたいCDです。いまでもよく聴きます。フランクは、パソコンに取り込み、数学の授業前の時間調整に用いています(40分かかるので長めです)。ほかに、ここに書いたものでは、アムステルダムのブラームス2番、そしてグリーグの協奏曲は、同様にパソコンに取り込んでいます。フランクの交響曲で名演奏を成し遂げるのが難しいことは、のちに生で聴いたアマチュアの3種の生演奏を聴いても明らかであると思われます(東京時代に会社のオケ、引っ越してから同僚の市民オケ、子どもが生まれる前に聴いた学生オケ)。のちに私は、ミュンシュ指揮ボストン交響楽団、パレー指揮デトロイト交響楽団、またフルトヴェングラー指揮ウィーンフィルなど聴きましたが、ストコフスキーと比肩しうるものではありません。かろうじて外山雄三がスタイルこそ違うものの聴けるものです。ラヴェルの「ジャンヌの扇」ファンファーレ、プロコフィエフのアレクサンドル・ネフスキー・カンタータとともに、ファンの宝です!

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