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ストコフスキー最晩年の序曲集

久しぶりにクラシック音楽オタクネタの記事を書きます。それでもよいというかたはどうぞお読みください。普通のブログは本日午後6時半に公開されますので、よろしければそちらをお読みくださいね。(あ、もう公開されているわ。長い時間かけて執筆したものです。)それではオタク話を始めます。

私がストコフスキーという指揮者にハマったのが、高校3年のときにオケでムソルグスキーの「展覧会の絵」をやったときです。いまから30年くらい前の話ですね。翌年、東京の大学に行き、膨大な情報量に圧倒されたわけです。本日も、いまも好きなCDの話を書きたいと思いますが、これは本郷から歩いてしばしば行っていた、秋葉原の石丸電気で買ったと記憶するCDです。いつ買ったかも覚えています。おそらく大学1年か2年のときです。このCDの最初に含まれるベートーヴェンの「レオノーレ」序曲第3番は、大学2年のときの「候補曲」に挙がっていましたが、私は候補曲を聴くためのカセットテープを部室用に作るときに、このCDから作ったのです。(インターネットのほとんどない時代で、もちろんYouTubeなどありませんよ。)そのときには持っていたので、それくらい前から持っているCDです。ですから、29年くらい持っているCDですが、いまでもひんぱんに聴く、好きなCDです。

Stokowski Showcase と書いてある輸入盤のCDです。録音されたのが1975年から1976年、ストコフスキー93歳から94歳の、亡くなる直前です。オケはナショナルフィルという、ストコフスキー晩年の録音をするためのオケです。CD化は1991年と書いてあり、考えてみると、録音から20年は経過しておらず、1991年といえばデジタルCD録音全盛期であったことを考えますと、「それほど古くないレコードのCD化」という意味合いも大きかったと思われるCDです。現代ならCD化されないかもしれないですね。

75分も収録されています。もちろんLPにそんなに長く入るわけはありませんので、複数のレコードからの抜粋でCD化されているのでしょう。このうち、ベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番、モーツァルトのドンジョヴァンニ序曲、シューベルトのロザムンデ序曲、ベルリオーズのローマの謝肉祭序曲、ロッシーニのウィリアムテル序曲の5曲はセットであったらしいことが、この5曲セットでYouTubeに上がっているのを見て、認識したことがあります。結構、この時期のストコフスキーは、ナショナルフィルを指揮して、こういった短い曲も積極的に録音させられています。なるべくストコフスキーが録音してこなかった曲を集中的に、レコード会社が録音していった様子がうかがわれます。

先述の通り、このCDはベートーヴェンのレオノーレ序曲第3番で始まっています。東大オケの冬の定期演奏会の候補曲だったのです。実際、この曲に決まり、私はこの曲の2番フルートを吹くことになりました。この曲の1番フルートには長くて目立つソロがありますが、ベートーヴェンの2番フルートは目立たない割に地味に難しいのでした。私の先生も、この曲は2番フルートのほうが難しい、と私をなぐさめてくれたものです。

ストコフスキーの演奏は、まず冒頭付近にあるファゴットを楽譜より伸ばすという芸の細かさを見せます。まるでピアノで弾いてペダルを踏むような効果をあげています。全体的に設計がみごとであり、コーダのテンポがあがるところでは、急にテンポを変えるのではなく、なめらかに(私の言いかただと「微分可能に」)テンポをあげていきます。この手法はストコフスキーの得意としたもので、クリーヴランド管弦楽団を指揮しての同じベートーヴェンの交響曲第7番の第1楽章の序奏から主部へもそう行きますし、ボロディンのだったん人の踊りでもこの作戦を使って見事な効果をあげています。これも、ストコフスキーの卓越した指揮技術があってはじめてできることであって、こういう演奏はまず他で聴くことはできません。

最後のクレッシェンドに向けて、どこから小さくするかですが、これもわれわれが東大オケで演奏したときのようなタイミングから小さくするのが常套的ですが、ストコフスキーはそのトロンボーンの入るところから小さくするというその常套的な手段はとらず、そのあとからスビト・ピアノしてクレシェンドしています。このほうが理に適っていますし、オケの生理としてもこちらのほうが気持ちがよいです。さすがです。そして、いざ最後に向けての大きなリタルダンドとア・テンポ!そしてクライマックスにホルンを入れてティンパニはクレシェンド!こうなると完全にストコフスキーのとりことなり、ほかのレオ3を聴く気が失せるほどになります。私はこの演奏で「レオ3」になじみましたが、いまだにこの曲で持っているCDはこの1枚だけです。29年間、持っています。1996年1月に、東大オケの定期演奏会でやる前から持っているCDです。いまだに最高です。

ちなみに、そのあと、だんだんストコフスキーのライヴ音源が発掘され、ストコフスキーのレオ3は、あといくつかのライヴ録音が出て来ました(ロンドン交響楽団、ニューフィルハーモニア管弦楽団など)。いずれもストコフスキーの真価を伝えるものですが、この一発どりに思える、(フルート2番の臨時記号の読み間違いもそのまま収録されています)当時、最新の録音技術で収録されたこの演奏を最も好んでいます。ストコフスキーはレオ3の正式なレコーディングはこれしか残しませんでした。これから述べる序曲はおしなべてそうだと言えると思います。レコード会社の人の録音計画の緻密さに感謝するほかないですね。

2曲目が、モーツァルトのドンジョヴァンニ序曲です。これも正式なレコーディングはこれだけです。そもそもモーツァルトの序曲そのものが、これしか正式なレコーディングがないでしょう。(意外と知られていないのが、最晩年のロイヤルフィルでの「フィガロの結婚」序曲のライヴ録音です。これがまた絶妙な演奏なのですが、それを書くのはまた日を改めましょう。)このドンジョヴァンニ序曲は、最後がモーツァルトの書いたままだと、そのままオペラに突入してしまうため、演奏会の序曲として演奏するときは、誰かの書き足したコーダが出版されていて、それを演奏するのが常です。私が大学3年のときの五月祭で東大オケがこの曲をやったときも、なんらかのコーダをつけたものです(私はその本番に乗る前に東大オケをやめてしまいましたが)。このストコフスキーのオリジナルのコーダはものすごく、このCDを駒場の部室で聴いていたときは、後輩のモーツァルトを愛する仲間が憤慨していたものです。ちょっと確かにティンパニが大きすぎる気がします。前に書いた記事で、やはりこのころの録音であるナショナルフィルを指揮したラフマニノフの交響曲第3番も、全体としてすごくいい演奏ながら、あえて難を言うとティンパニが大きすぎることを書いたと思います。これは先述のレオ3にも言えますが、このCD全体に言える、あえて言うと難点だと思います。(ストコフスキーは本来、ティンパニが大きすぎてベースラインをかき消すような演奏は好まなかったものです。)このドンジョヴァンニ序曲も、ライヴ録音としてボストン交響楽団のものが残されてはいます。音質としてはこちらが優位になるでしょうね。

つぎがシューベルトのロザムンデ序曲ですが、これが最高!私はこの演奏、このCDでこの曲になじんだのですが、もう最高です。シューベルトの楽しさが極まった曲で、演奏も抜群です。オケのいきいきしていること!この「オケをのせるのがじょうず」というのもストコフスキーの特徴で、94歳にしてこの若々しい演奏は、オケがのって演奏しているからなのです。ストコフスキーらしい特徴としては、序奏のフェルマータからいきなり主部がスタートする点(友人に聴かせたら腰を抜かしていました)、そして、ラストのピッコロの追加!この木管の部分は普通は聴こえないので、このストコフスキーの改変はまったく妥当なのですが、このCDでこの曲になじんだ私は、てっきりここにはピッコロがあるものだと思って、じつは普通の(ほとんどすべての)演奏は、ここでピッコロはないと知ってがっかりしたものです!ストコフスキーは、この調子で、生涯、レコーディングして来なかった、しかし得意であったレパートリーを録音する予定がたくさんあり、95歳という若さで亡くなってしまったため、果たされなかった録音がいろいろあるのですが、シューベルトの交響曲第9番「グレート」もそんな曲のひとつです。グレートはライヴ録音も含めてひとつも残らなかった曲ですが、このロザムンデ序曲の絶好調な仕上がりからしても、同じシューベルト、同じハ長調で、どれほどの名演が残されたはずかと思うと、くやしくてなりません。とにかくこのロザムンデ序曲はすばらしいです。

この曲に関しては、ストコフスキーは2度目の録音となります。1952年に録音しています。それももちろんすばらしいのですが、本日はこちらのCDのひいきの日なので、こちらのすばらしさだけ、書いておきます。ストコフスキーが生涯に2度以上、正式な録音を残した曲は「よほど得意な曲」と思って間違いないというのが、ストコフスキーマニア歴30年の私の考えです。

東大オケでは、この曲は、私が大学1年のときの定期演奏会の曲でした。その演奏会自体は管楽器の1年生の常としてすべて降り番で、本番中は裏方に徹していましたが、合宿で弦楽器の芸で、下品なものを見た記憶があります。当時、弦楽器の下品な芸は珍しかった気がします。金管楽器の下品な芸というのは普通でしたが。(東大オケは合宿で必ず芸をやらされました。それを楽しみにしておられるトレーナーの先生も少なからずおられたものです。)

4曲目は、先述の通り、このCDは複数のレコードからの抜粋であるため、急に傾向の違う曲となりますが、チャイコフスキーのソリチュードとなります。これはストコフスキーがチャイコフスキーの歌曲からオケ用に編曲したもので、若いころからの得意なアンコール用のレパートリーです。ストコフスキーはこの作品の正式なレコーディングだけでもこれで6回目となる解く作品ですが、ステレオ録音がこれだけなので(前回の5回目が1953年)、レコード会社も久しぶりに再録音をしたのでしょう。ちょっと最後のフェルマータが長すぎる気もしますが、それもまたよいものです。ずっとのちに、この歌曲のオリジナルを聴いたことがありますが、まったくこんな感銘を受けない平凡な作品だと感じたものです。つまりこの作品に、オーケストレーションをすると、見違えるようなオケ曲になると判断し、かつ本当にオーケストレーションしたストコフスキーの慧眼にはただ脱帽しかないのです。

5曲目が、スーザの「星条旗よ永遠なれ」です。これはストコフスキーが得意にしたアンコール曲なのに、しばらく録音されていなかったので、レコード会社がレコーディングに踏み切ったのでしょう。結果的に、やはりこれは生の熱気のなかで聴かれるべきものであったとしかいいようのない、お世辞にもいい出来とは言えない録音になってしまいました。オケが上滑りしています。この曲はストコフスキーは1929年に録音していますが、私は聴いたことがないと思います。同じころ録音された同じスーザの「マンハッタン・ビーチ」「エル・カピタン」が普通にいい演奏なのからしても、そのころの演奏はよいのでしょう。なお、ストコフスキーの「マーチによるアンコール」では、若いころはだいぶエルガーの威風堂々第1番をやっています。ただしストコフスキーの威風堂々はひとつも録音が残りませんでした。若いころはアメリカでイギリスのマーチである威風堂々をやり、こうして晩年にイギリスでアメリカのマーチを録音したことになります。ニ長調に編曲されての演奏です。

この曲については、ストコフスキーが来日して、武道館ライヴを行ったときのアンコールがこれだったということで、もちろん生でお聴きになったかたも含めて日本では話題になりますので、少し情報を付け足しますと、ストコフスキーは1965年に来日しました。アジアのオケを指揮したのがストコフスキーにとってこのときだけだと思われます。日本フィルの招きで日本を訪れ、日本フィルを、東京文化会館で1回、この武道館で1回、それから読売日本交響楽団を東京文化会館で1回、指揮しています。多くのクイズマニアの皆さんが間違えておられますが、武道館を最初に音楽の会場に使った音楽家はビートルズではありません。ストコフスキーです。ストコフスキー指揮日本フィルが最初です。おそらくプロムスみたいなイメージがあったのではないかと思います(とてつもなく広い会場で演奏会をするというアイデア)。これは、衛藤公雄(えとうきみお)の伝記「奇蹟の爪音」に詳しく書かれています。衛藤はカウエルに琴協奏曲(第1番)を委嘱し、ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団と初演。その翌年にこの武道館ライヴで日フィルと共演したのです。いずれの録音も残されました。その話もいつかできればと思いますが、この日のアンコールが「星条旗よ永遠なれ」だったというのは有名な話です。私が言いたかったのは、武道館を音楽会場として使った最初の演奏家はビートルズではなくストコフスキーだということです。ちなみに私は先ほどから述べているベートーヴェンのレオ3を演奏したのが東京文化会館で、武道館は東大の入学式の会場であり、大学2年と3年のときに演奏しています。東京文化会館はのちにある市民吹奏楽団のエキストラとしても出演しており、私はストコフスキーが来日して演奏した2つの演奏会場の両方で演奏の経験があることを誇りにしています。

6曲目が、シャブリエの狂詩曲スペインです。これはかなり目鼻のはっきりしたいい演奏、いい録音で残りました。これもストコフスキーは1919年にアコースティック録音して以来の、半世紀以上ぶりの再録音となります。もちろん先述の通り、ストコフスキーが生涯に2回以上録音した曲は「大得意」なのでありまして、これもハリウッド・ボウルでの1946年のアンコールのライヴ録音などは残っているのですが、これも非常にいい演奏です。この曲に限らず、このCDは、「ストコフスキーの若いころのヒット曲のもう一度」みたいな企画で録音されたのではないかという曲がときどき入っています。

7曲目が、サンサーンスの死の舞踏です。これも同様の曲であり、ストコフスキーとしては、1923年(発売されず)、1925年、1936年以来の録音となり、久しぶりに懐かしい曲がいい録音で残ったことになります。

8曲目が、また序曲集に戻り、ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」序曲です。これこそストコフスキーが生涯にわたって指揮し続けた、得意中の得意の序曲であり、なぜこの94歳になるまで正式なレコーディングがなされなかったのか、と思うほどです。これは、壮年期のストコフスキーのすさまじいばかりのライヴ録音ですごいものがたくさんありますが(コンセルトヘボウ管弦楽団ライヴ、北西ドイツ放送交響楽団ライヴなど。シカゴ交響楽団の映像もある)、この新しい録音での演奏もまたよいものです。落ち着いた動きで、特に必殺技を繰り出すわけでもなく、過不足なく曲のよさを聴かせてくれます。いいね!

9曲目がまた懐かしのヒット曲であり、イッポリトフ=イワーノフの「酋長の行列」です。これは「コーカサスの風景」という4曲からなる組曲の最後の曲で、ストコフスキーが若いころから得意としていた曲です。生まれて初めて自費で開いた「指揮リサイタル」であった1909年のパリでのコロンヌ管弦楽団の演奏会でも取り上げていますし(つまりストコフスキーがはじめて指揮した曲のひとつだということ)、同じ週のロンドンでの演奏会でも指揮し、また、そのパリでの演奏会の評判からつながったアメリカのシンシナティ交響楽団の指揮者に就任してからも取り上げています。この組曲全体の正式なレコーディングは残らなかったのですが(フィラデルフィア管弦楽団を指揮してのライヴ録音はあり)、この「酋長の行列」は1927年以来の約半世紀ぶりの再録音となりました。おそらく1927年には省略していたコーダも復元させての再録音。私はもし東大オケの「音楽教室」(小学校まわり)でピッコロの紹介が当たったらこれを吹こうと思っていました。また、東大の駒場の900番教室にはオルガンがあり、年に何回か、国内外のオルガニストを呼んで無料のオルガン演奏会が開かれていましたが、院生のときに聴いた演奏会で、これを演奏するオルガニストがいたものです。3分半の短い曲ですが、オリエンタルムードにあふれた愛すべき小品であり、私は大好きです。

最後の10曲目がロッシーニの「ウィリアムテル」序曲です。ストコフスキーはロッシーニの曲はこれしか録音を残さなかった!(この作品は1923年に非公式の録音をしたという情報がありますが、私は聴いたことがありません。ガセではないのか?)もちろんストコフスキーはロッシーニの序曲も指揮しました。有名なNBC交響楽団のベートーヴェンの「運命」の日の最初の曲もロッシーニの「セヴィリアの理髪師」序曲でした(が録音は残っていません。とにかく知られているストコフスキーのあらゆる録音のなかでロッシー二の作品はこれだけなのです)。かろうじてライヴ録音の残ったヴェルディの「運命の力」序曲がとほうもない名演奏であることも考えると、人類はどれほどの損失をしているのか(おおげさですみません。私はどれほどの損失をしているのか、に変えましょう)、と思いますが、このウィリアムテル序曲です。さすがにストコフスキーの衰えは隠せません。おそらく第2部のトロンボーンももっと壮年期のストコフスキーなら、このテンポでも吹けるようにしっかり訓練したでしょうし、第4部ももっと縦の線がそろってもいいいはずです・・・とはいえ、曲も嫌が上にも盛り上がる曲ですし、75分、聴いて来たCDのラストを飾っていることもあって、感慨にふけりながら聴くことになります。ああ、いい曲だ…。

というわけで、ストコフスキーのレコーディング(私の生まれたころ)から私の所有までが20年弱、私がこれを所有してから29年という、私の所有の期間のほうが長くなっている伝説のCDですが、これは宝だと言えましょう。二度と来ない青春の思い出もたっぷりのCDです。

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