「人の気持ちがわからない」じゃなくて「人のわからない気持ちがわかる」
前にも書きましたが、「発達障害は、空気が読めない」のじゃなくて、「多くの人と違う空気を読んでいる」のだと感じております。多くの人が気づくことに気づかなかったりして「お前、どこに目がついてるんだよ!」と叱責されることはしばしばですが、多くの人が気が付かない細かい間違いが非常に気になっていたりします(それを言うと、多くの人からは、「細かいやつだなあ!」と言われてしまうのですが)。
それと同様なことですが、発達障害の本にしばしば書いてある「ASD(自閉症スペクトラム)は、人の気持ちがわからない」というのは、「多くの人がわからない気持ちがわかる」ということだと思っております。私自身、多くの人がわかる気持ちがわからなくて人を傷つけたりしていますので、たしかに発達障害の本に「人の気持ちがわからない」と書かれてしまうのはもっともなのですが、逆に言うと、ひとのわからない気持ちがわかったりするのです。
だいぶ前の話を書きます。祖父が存命のころでした。祖父は痴呆になって、ある病院に入院していました。ある日、家族親戚一同で祖父を見舞いました。祖父の食事の時間になりました。祖父のベッドには、食事が運ばれてきました。みんな、祖父に食事をすすめます。しかし、祖父は食べようとせず、しきりに「食券は?」「食券は?」と言っていました。みんなは、祖父に食事をすすめようとしました。このときなぜ祖父が食べようとせず「食券は?」と言い続けたのか、その場にいた誰も、わかっていませんでした。私だけ、祖父の気持ちが、手に取るようにわかりました。
つまり、周囲の家族親戚一同が誰も食べていない中、自分だけ食事をするのって、いかにも(なんというか)気持ち悪いじゃないですか。みなさんは食べないんですか?って言いたくなるじゃないですか。そして、その病院は、ちょうど、食堂のような雰囲気の病室だったのです。そこで、祖父は、食堂にいるような気分で、「みんな、食券は買ったのか?」と聞いていたのです。その祖父の気持ちは手に取るようにわかりました。
もっと最近の話をします。例の、9月に他県の友人宅に居候したときの経験です。ある、おじさんが、私と出会うなり、ガラケーで、自分の描いた絵を自慢しはじまりました。私は直観的に理解しました。この人は、「自慢したい人」「自慢が得意な人」なのだろう!と。そこで、私は、そのおじさんの自慢を、徹底的に聴くことにしました。絵も一枚一枚、ていねいに見ました。さまざまな花鳥風月やら、戦国武将やら、世界の建築などがありました。わからないものは、質問しました。きちんと聞いたのです。そのおじさんは、さらに、いろいろなCDも持参していてそれらを見せ始まり、音楽の話も始まりました。私も、ついていけないなりに、いっしょうけんめい、話を聞きました。それから、自慢も、「80:20」くらいだと思いましたので、こちらも20は自慢させてもらうので、そのおじさんが、聖書の自慢をはじめたときは、私は「私にも自慢させてください。私は、聖書を17回、通読したことがあります」と言いました。おじさんは、素直に感心してくれました。そして、そのおじさんはとにかく趣味は広く浅くの人なので、聖書を17回、読むくらいなら、次は別の趣味を、とすすめてくださいましたが、私はあくまでもせまく深くの人間なので、つぎは聖書の18回目を、とお答えしました。
そのおじさんは、40分、自慢を続けました。そして、ついに最後に、自慢を終え、「ありがとうございました」とおっしゃいました。そんな、いろいろ見せてもらって、ありがとうございましたはこっちのせりふなのに、という感じでもありますが、私にもわかりました。そのおじさんは、「自慢し足りた」のです。だから、「ありがとうございました」とおっしゃったのでした。
あとから知ったことですが、そのおじさんの自慢話を40分、聞ける人間は、そういないそうです。でも、きちんと聞いてみれば、ひとつひとつの絵は、それなりにとても興味深いものでした。
その十日ほどのち、そのおじさんと、再び会う機会がありました。笑顔であいさつしてくださいました。私の名前も覚えていてくれました。「聖書、17回の」とおっしゃいました。私の「自慢」を覚えていてくれたのです。そのあと、すれ違うときもあいさつしてくださいました。すっかり仲間になれたのです。そして、その地を去る直前、また、そのおじさんの自慢話を聞きました。今度は、55分、聞きました。このときも、最後まで聞きました。
また、別な例を挙げます。やはり、9月に、他県で居候したときの話ですが、ある高名な牧師先生と親しくなりました。その先生と話していて直観的に気づいたことですが、この先生は、「ほめられ足りていない」ということでした。その先生はとても有名です。高く評価されています。その先生が「ほめられ足りていない」ことに気づいたのは、私くらいかもしれません。しかし、私は、その先生の言動から、敏感に感じ取ったのです。つまり、その先生は、「高く評価される」とか「ちやほやされる」ことは、たくさんあるだろうと思うのですが、単純素朴に、「すごいねー!」とほめてくれる人は、逆にめったにいないのだろうな、ということも私はわかったのです。そしてそれがわかった私は、精一杯、その先生を「ほめ」ました。それが伝わったのか、その先生とはとても親しくなれました。こちらも、たくさん励まされました。この牧師先生とも、仲間になれたのです。
私は、不登校の経験があります(といって、だれにも驚かれないのが、逆に驚きでもあるのですが、まあ、不登校の経験くらいありそうに見えるのでしょう)。私は、教員の経験があります。どのクラスにも不登校の生徒はひとりくらいいて、担任が手を尽くし、学年会では必ず話題になりました。私自身も、自分が担任であったときには、不登校の生徒がいて、たいへんでした。しかし、私が次第にダメ教員であることが明らかになって担任を持たされないようになってからも、学年会での不登校の報告を聞くたび、気の毒になっていました。ひとことで、ひらたい言葉で言えば「かわいそう」なのです。すごく単純化した言い方をゆるしていただけるなら、学校に通えている生徒が「普通」で、不登校の生徒が、問題があるというのではなく、この学校という非人間的な組織になじめて通えている生徒よりも、通えていない生徒のほうが、よほどまともな感覚を持った人間なのではないか、ということです。でも、ほとんどの学校側の反応は、不登校すなわち問題、というとらえかたなのが、私にはひたすら悲しく見えていました。私が担任をしたときの不登校だった生徒も、とてもやさしい心をもった、かしこい青年でした。また、私がツイッターをやっていたときの相互フォローしている仲間で、不登校の生徒さんがいました。その生徒さんも、ツイッター上で、大人とまともに話ができる、とてもまともな感覚をもった、賢い生徒さんでした。同じ年齢の、学校へ行っている多数派の生徒さんより、成熟しているくらいでした。しっかり自分の進路についても考えていました。
私は、生まれつきの発達障害に加えて、それにともなう大人たちの叱責、学校や社会の裏側ばかり見て来た経験から、人のわからない気持ちのわかる人間になっていたのです。
私は、30歳で新卒のときから、現在45歳まで、若い人たちと付き合う仕事をしてきましたので、人生のちょうど3分の1を、若い人たちと過ごしてきたことになります。NPO法人キッズドアの活動を知るにつけ、いまの子どもたちが、(ひらたい言葉で言えば)「かわいそう」に感じるのです。ほんとうは、私はこんな障害者でなければ、普通に普通のことができる健常者ならば、キッズドアみたいなところに就職したいくらいなのです。私はこの15年、「役立たず」でした。給料どろぼうでした。「役に立つ」人はひっぱりだこでしょうが、では役立たずはラクかというとさにあらず、自分が「役立たず」であることを認識するのは、とてもつらいことです。どうせなら、人の役に立ちたい。困っている子どもが、こんなにいるのです(キッズドアのホームページをご覧ください。リンクをはることは苦手ですので、はれませんが)。私もほんとうはできることをしたいくらいなのです。
話がそれましたが、ようするに、「ASDは人の気持ちがわからない」のじゃなくて、「人のわからない気持ちがわかる」ということではないかと思います。
以上です。お読みくださりありがとうございます。
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