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赤信号みんなで渡れば恐くない

ゴールデンウィークが終わり、中学生になった(あるいは大学生になった、社会人になった)皆さんは、新しい生活に慣れて来たころでしょうか。私は中学に入ったら急に授業が体系だった気がして、突然、勉強が得意になりました。少し前の私であれば「中学に入ると授業がわかりやすくなるよ!」と言ってまわったのかもしれませんが、いまの私はそう言いません。それは個人差があり、私のようなタイプが少数派だと気づいているからです。中学に入って(大学に入って)「急に勉強が難しくなったなあ」と思う人のほうが多いかもしれません。しかし、「難しくなったなあ」と思う人が多数派であれば、恐ろしくはありません。みんなで「難しくなったなあ」と思っているからです。みんなは難しくないのに自分だけ「難しいなあ」と感じていたら落ちこぼれですけどね。

世の中では多数派が標準となるのです。「普通」という言葉は「多数派」という意味です。「普通わかるでしょ」というのは「多くの人はわかるでしょ」という意味です。「赤信号みんなで渡れば恐くない」という言葉があります。赤信号を渡っている人さえそれが多数派であるなら恐くはないのです。

私が高校生であった30年前は、多くの人は携帯電話を持っておらず、メールアドレスも持っていませんでした。それが当たり前ならばそれで世の中がまわっていますのでなにも恐くないのですが、こんにち「携帯電話を持っていない」「メールアドレスを持っていない」というのはかなりのハンデになります。どこにでもメールアドレスの記入欄があるのが当たり前です。ホームレスの人の大変さは「住むところがない」ことそのものもさることながら「書く住所がない」ということにもあると聞きました。確かに、どの書類にも「住所と氏名」を書く欄があります。ホームレスをしているということは「住所」という欄を埋められないことを意味するわけですね。

「たった3人」でも多数派と少数派があります。3人のうち2人がわからなかったら説明した人の説明力不足になります。3人のうち1人だけがわからなかったらその人の理解力不足になります。私は間もなく単身で両親としばらく3人で暮らす可能性があります。恐ろしいのは「洗脳両親」と暮らすことであり、なおかつ「洗脳両親が3人中2人」であることで、洗脳する者が多数派になることなのです。そちらが「常識」になってしまいます!

聾学校へ取材に行った人の話を本で読んだことがあります(書名も著者名も忘れてしまいました。すみません)。耳の不自由な生徒さんは楽しく手話で雑談をしており、取材した著者一行のほうが障害者みたいだったと書いてありました。これも、耳の不自由な人が多数派であればそれは恐ろしくないということであり、手話のできない人が少数派だったらそれは障害になるという例です。

というわけで、新しい学校に入って「勉強が難しいなあ」と思っている人も、もしそれが多数派だったら恐れなくて大丈夫ですよ。自分だけが「難しいなあ」と思っていたら落ちこぼれますけどね!

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