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ストコフスキー指揮によるアヴシャロモフ「The Taking of T’ung Kuan」ほか

本日から仕事始めのかたも多いのではないでしょうか。私は、きのうが仕事始めでありまして、本日は夕方から仕事です。少し、時間がありますので、また、クラシック音楽オタク話を気ままに書きたいと思います。すみません。オタク話でない記事としましては、きのうの夕方の記事がございます。また、本日、数学ブログも公開されます。それでは、オタク話を始めますね。

また「好きなCD」の話ですが、これは、2012年ごろから持っているCDです。2012年といえば、世の中はだいぶCDの時代ではなかったことになると思います。ストコフスキー指揮デトロイト交響楽団によるCDですが、発売はもっと前です。なぜ2012年ごろ買ったと記憶しているのかと言えば、そのころ顧問をしていたオケがチャイコフスキーの交響曲第5番をやることになり、それにあわせて買ったことを記憶しているからです。

結果的に、長く愛聴するCDとなりました。私のなかでは、1994年から2006年までの学生時代に買いあさったCDが長く愛聴される傾向にあるうち、珍しいCDだと言えるかもしれません。

3曲、入っています。うち、ストコフスキー指揮でないものが1つあります。

1曲目が、アヴシャロモフの「The Taking of T’ung Kuan」という曲、2曲目がチャイコフスキーの交響曲第5番です。以上がストコフスキー指揮デトロイト交響楽団です。3曲目が、スメタナの「ターボル」で、クーベリック指揮マーキュリー管弦楽団です。

ストコフスキー指揮デトロイト交響楽団はライヴ録音であり、1952年11月20日の演奏会です。この日のこの2曲以外のプログラムは、私にはわかりません。(当時のストコフスキーは、4曲プログラムが多く、あと2曲、20分か30分くらいの曲を演奏しただろうと推測されます。)ストコフスキーがデトロイト交響楽団を指揮した録音は、これ以外にないだろうと思います。もっともストコフスキーはデトロイト交響楽団をはじめアメリカのオケはしばしば指揮していました。ワシントン・ナショナル交響楽団や、ピッツバーグ交響楽団のように、ときどき指揮していたにもかかわらず、ひとつも録音の残らなかったオケも多いものです。

アヴシャロモフの「The Taking of T’ung Kuan」という曲は、どう日本語訳してよいのかわからない曲名の曲です。ストコフスキーが初演した曲であるようです。これが初演のライヴであった可能性もあり得るとは思います。(このころストコフスキーは特定のオケの指揮者ではなかったため、こういった新曲の初演でも、こうした客演のときに取り上げていたみたいだからです。)そして、とてもいい曲なのです!非常にハイテンションな始まり方をし、エキゾチックな感じのする8分弱の曲です。すっかり好きな曲になりました。選曲も演奏も、さすがストコフスキーだと思います。

そして、チャイコフスキーの交響曲第5番です。これは、ストコフスキーの十八番であり、とくにこの50年代に、客演のレパートリーとして世界中で指揮したため、膨大なライヴ録音が残りました。そのうちのひとつです。その、ストコフスキーが残したチャイコフスキー5番の録音のすべての一覧は、ついおととい、記事にして書いたばかりですので、繰り返しませんが、12種類か13種類、あります。おとといご紹介したものは、デッカの1966年のステレオ録音で、おそらく「ストコフスキーのチャイ5」として最も有名なものですが、このデトロイト交響楽団ライヴは、50年代のストコフスキーの絶好調ぶりと、お客さんを前にして「燃える」演奏になっているということで、そのデッカ録音よりはるかに「迫真の」演奏になっています。手に汗にぎるようなスリリングな演奏です。すばらしいです。(でも、私のなかでは、これはストコフスキーのチャイコフスキー5番のなかで、「最高!」と言えるものではないです。もっともっといい演奏があるのです。そのうちご紹介いたしましょう。ストコフスキーの道は奥が深いのです!笑)

これに加えて、クーベリック指揮のスメタナの「ターボル」があるわけです。「ターボル」は連作交響詩「わが祖国」の第5曲です。昨年の暮れ、スメタナの「わが祖国」全曲を聴く機会があり、ナクソス・ミュージック・ライブラリ等で予習をしましたが、確かにクーベリックの「わが祖国」はすばらしかったです。私が気に入ったのは、これと同じ1952年の、シカゴ交響楽団の録音でした。なお、ストコフスキーは「ターボル」の録音を残しませんでした。ストコフスキーが残した「わが祖国」の録音は、「モルダウ」と「シャールカ」が1つずつです。このうち「シャールカ」は驚くべき名演奏です。いつかご紹介できたらと思っています。

少し脱線ですが、その昨年暮れのスメタナの「わが祖国」全曲の演奏会についても書きましょう。あるアマチュアオケの演奏会でした。指揮者は、私が1997年、1998年にお世話になった指揮者の先生でした。半年くらい前にSNSでつながり、招待券をいただけることになったのです。「わが祖国」全曲を生で聴く機会はいままでありませんでしたので、楽しみにして当日を迎えました。行ってみると、とてもいい席をいただいており、恐縮でした。(そもそもプロの指揮者の招待券でアマオケの演奏会を聴くこと自体が空前です。)すばらしい演奏でした。前半と後半のあいだには休憩が入りましたね。やはり「ブルックナーの交響曲第8番の1曲プログラム」といったものとは違うのでしょう。終わったあと、遊び心のあるアンコールがありました。オケの皆さんが、サンタクロースやトナカイのかぶり物などをし始め、指揮者の先生はすっかりサンタクロースに扮装し、ルロイ・アンダーソンの「そり滑り」が演奏されたのです。楽しかったです。(この指揮者の先生がアンコールで燃えるタイプであったことを思い出しました。1997年のマーラーの交響曲第1番のときのアンコールは、そのころリメイクの流行っていたらしい「スターウォーズ」でしたが、先生は「マーラーのあとのスターウォーズはみんな驚くぞー!」と言って張り切っておられましたし、1998年のときのシベリウス1番のあとのアンコールはシュトラウスの「狩りのポルカ」でしたが、これも「カルロス・クライバーのようにやりたい!」とおっしゃっていましたね。)

さて、脱線が激しかったですが、話をストコフスキーに戻します。このころは、ストコフスキーがアメリカのいろいろのオケに客演していた時期で、このころは、たとえば翌1953年の1月にはカンザスシティ・フィル(8日と10日で別プログラム)、バッファロー・フィル(18から20日)、ヒューストン交響楽団(27日)に客演しています。先述の通り、このころストコフスキーは特定のオケの指揮者ではなく、このときのヒューストン交響楽団も、まだ音楽監督になっていない時代の客演です。

本日はこのへんまでです。好きなCDの話でした!

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