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小さな親切、大きなお世話

 私が小さいころ、よく聞いたフレーズです。「小さな親切、大きなお世話」。

 こちらとしては小さな親切でやっているつもりでも、向こうにとっては、大きなお世話だ、というような意味だと思います。

 「お世話」って、ふしぎな言葉ですね。「お世話する」って、多くの場合、いい意味ですものね。「お世話になる」とか。

 「余計なお世話」というと、悪い意味になるのですね。「大きなお世話」も、悪い意味です。

 同様にして、「面倒」という言葉も、二重の意味のある言葉で、「面倒を見る」というのは、いい意味ですけど、「面倒をかける」「面倒くさい」というのは、悪い意味です。

 (真夜中に友人の家に行ってパンを3つ貸してくださいと言う人(新約聖書ルカによる福音書11章5節以下)も、その友人から「面倒をかけないでください」と言われています。そういうときに「面倒」という言葉は使われます)

 「お世話」というのも、ときと場合によっては、迷惑になる。「面倒を見る」のも、ときと場合によっては、迷惑をこうむる意味になる。これはつまり、人間関係の面倒くささを表していると思います。その人のためを思ったら、面倒なことでもやらなければならない。迷惑をかけたり、かけられたりすることを避けつつ、ひとのためになにかをすることは、できないということではないでしょうか。

 だから、しないほうがいいと言わんばかりの言葉が、冒頭の「小さな親切、大きなお世話」という言葉ではないかと思うのです。

 もっと「小さな親切」しましょうよ。それが「大きなお世話」であったとしても。

 「大きなお世話」になることを避けるあまり、「小さな親切」がなくなってしまうのは、さびしいことだと思います。

 「大きなお世話」でもいいから、「小さな親切」をしたほうがいいと思います。私も、そのように心がけたいです。
 以上です。ここまでお読みくださり、ありがとうございました。


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