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10代のころの意識とは変わったことを実感した話。

小学校の記憶

社会人になってから、自分の卒業した小学校にひさしぶりに行ったことがあった。
中学・高校時代の友人が、私の出身小学校の先生をしていた時期があった。そのタイミングで友人と一緒に、友人にとっての職場であり、私にとっては母校となる学校へ行った。

校舎内に入った時、違和感を覚えた。

「あれ?校舎ってこんなに小さかったかしら?」
先生の目を盗んで、階段の手すりを滑り降りようとしたことがあった。
その階段の手すり、こんなに低かったかしら?

その時は、なぜそう感じたのかわからなかった。

一緒にいた友だちにはその時の感覚を言えなかったのだけれど、家に帰ってからふっと気づいた。

学校が小さいのではなくて、私が大きくなったんだ。

久しぶりに校舎内に入ったから、違和感を感じたのだろう。
わたしの中の小学校の記憶は、卒業式で止まっていたのは当然のことだったけれど、それをハッキリと自覚した。

県立図書館の記憶

中学、高校時代の夏休み。
自宅の暑い部屋では勉強できなくて、自転車で20分ほどの県立図書館の自習室を利用した。

閲覧室とは別に、自習スペースが学校の長期休みの間、作られる。
朝9時から夕方5時まで利用できたけれど、休憩時間に閲覧室に行った。

市立図書館はよく利用していたけれど、県立図書館の本は何となく借りづらい。そもそも、本自体も他の図書館にあるものより難しいような気がして、自分には縁がないもののように感じていた。

ところが、社会人になって、ふらっと県立図書館まで行くことになった。
そこにある本は、自分には縁のないものばかりだろうと思いながら書架を何気なく見てみた。

すると、意外や意外。
自分が読みたいと思うレベルの本ばかりが置いてあるではないか。

高校時代になぜ難しいと思ってしまったのか、何に難しいと思ったのか、もはや思い出せない。しかし、過去の記憶にとらわれて、遠ざけたままにしなくてよかったと思った。

新たな出会いをした本

中高生のころ、読んだときは理解できなくて読めなかった本が、大人になってから違う感覚を持って読めるようになったと感じたことがあった。

そのギャップに初めて気づき、衝撃をおぼえたのが「ノルウェイの森」。

10代後半で感じたことがその10年後にはすっかり変わっていて、受け止め方が全然違ったことが本当に新鮮だった。

終わりに

10代のころ、感じていたことが10年もしないうちにころっと変わってしまった。

そのころから比べたら、同じものを見ても50代となった今感じることは全く違うのだと思う。

どこがどう違うのか。どこに問題意識を持つよう変わったのか。

確かめる旅をもう少ししたい。

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一ノ勢さい子
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