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キャリアハイのカタルシス=解放。「Daechwita」|D-2(2020年)

忘れもしない、2021年3月12日(金曜日)。
その日。
突然「BTS」の沼に落ちた新規ARMYです。

そして、クリエーターとして信用できるところ…創作者/表現者としてのミン・ユンギ|MinYoongiを推すタイプのユンギペンです。
どこか不完全で、つねに焦りを抱えていて、誰よりも、次はもっとうまくやってやろうと目を凝らして世の中を見ている。
“天才”のように言われるが、すべてが不安、準備、先回り。周りの期待を慎重に汲み、つねに少しだけ期待を超えて相手を安心させる。
それが私のミン・ユンギです。

新規ARMYにとっての過去コンテンツ

2021年3月、BTS(防弾少年団)を知って、そのメンバーの一人がラッパーであり、プロデュサーの能力をも発揮するミン・ユンギの存在を知った時には、すでにこの「大吹打|デチュィタ」は世に放たれていた。
断片的な情報で、ミン・ユンギとそのソロ活動(Mixtape発表)=Agsut Dの凄みに触れつつこの「大吹打|デチュィタ」のミュージックビデオを見た時の衝撃を覚えている。
2020年8月にリリースされた「Dynamite」で世界中にセンセーションを起こした、ポップで華やかで美しいBTS(防弾少年団)に、こんな一面があったのかと。(Mixtapeでの発表なのに、ミュージックビデオを制作していることにも驚いた。)
でも正直、その頃(BTSを知った頃)はあまり注目はしなかった。いや、目を背けた、というのが正しいのか。
あくまでもBTS(防弾少年団)はBTSで、そのBTSの存在を追うだけでも手一杯だったし、その時点(2021年3月)では新しいコンテンツが続々と発信されていたし、ましてや過去コンテンツ、中でもメンバーのソロ活動をや…とてもじゃないけど、追う余裕などなかった。
けれど「ただものではなさそうなミン・ユンギ」が目の端には映っていた、正視するのが怖かっただけだ。

なんせ、このビジュアルだ…。

2020年5月に発表されたMixtape「D-2」の中の一曲(タイトル曲)「大吹打|デチュィタ」。

これを初だし(リリース)の状態で見たファン(ARMY)はどれだけの衝撃(たぶん、間違いなく)を受けたのだろう。

ただただ、それがうらやましい。

後発の新規ARMYにとって過去コンテンツは(公式、さらにそれよりも先にファンの切り取りや加工などの)断片的な状態で出会ってしまうもので、初見なりの印象やコンテンツ全体を通じて受ける感情は、持ちにくい、残念なことに。
どうしても、ARMY先輩からの情報を経由した(フィルターがかかった)状態で見ることになることになる。

もちろん、さかのぼって直接触れる彼らの魅力は、SNSなどで与えられた拡散情報など蹴り散らかすほど強力で、まったく新しい(最新と言われても違和感のない)コンテンツとして向かってくる。

そのコンテンツパワーの際たるものがこの「大吹打|デチュィタ」だろう。

熱狂を生む「大吹打|デチュィタ」

打楽器(太鼓、ドラム、鐘、おりん)の音はなぜこれほどお腹の深部に響くのか…。
伝統楽器、素朴なものであるほど、感情を揺さぶるものがある。
多分それは世界共通の反応だろう。

韓国の伝統楽器で奏でられる「大吹打=軍隊行進曲」と、激しく打ちつけられるビートとラップテクニック。
なにより、リリックは「頂点に昇りつめたミン・ユンギ」の感情の解放=カタルシスである(このカタルシスがAgsut Dという存在=ペルソナ、とも)。

誰が王だ?
誰がボスだ?

知っているだろおれの名前を
口先だけのやつら
すぐにやつの首をとってやる

“アイドル” として“ラッパー”として、矛盾にさいなまれながら続けてきた状態は、誰か/何かにコントロールされている感覚があったのだろうか。

そして反転、その誰か/何かを黙らせられるほどの成果を積み上げ、欲しいものはたいてい手に入れた暁には、自分が自分の王でボスになる…。

おれは王だ
おれはボスだ

刻んでおけ、おれの名前
口先だけのやつら
すぐにやつをねじ伏せてやる


自分こそが、自分のキング!

このメッセージこそが、世界中のアミを熱狂させているのだと思う。

ミン・ユンギ(だけでなくBTS)に送られているAMRYからのメッセージの中に「あなたに救われた」「苦しい時に出会えた」というものがある。

例えば、「Answer: Love Myself 」や「Jamais Vu」「So What」などのように(そのほかも列挙したいがここでは控える)、寄り添うように“癒し”や“励まし”になるような楽曲がある。
一方、ミン・ユンギ(Agsut D)は、自らの経験をむき出しにして揶揄や皮肉をリリックにぶつけ、さらに周囲からの評価や曲解を跳ねのけるように自らの“自己評価(=自己肯定)”を叫ぶ。

プライドのラップだ。

来るやつ全員殺してやる
おれは礼儀知らずだから

ひれ伏す
そんなつもりはない

おれが納まるにはここは狭すぎる

おれの時間はさらに価値がある

この“自己肯定”の肯定が「大吹打|デチュィタ」が支持される理由だと思っている。
(もちろん、あのミュージックビデオは罪な存在だ)。

Oalkand|D-Day Tour


そして、この「大吹打|デチュィタ」でも言っているね、ユンギ。

でも今になって下を見てる
このままうまく着陸したいと思うよ

世界中でのセールスや大規模スタジアムを埋めるファンを熱狂させ、数々のアワード受賞を受賞…。
思いがけず高くまで昇りつめてしまった恐怖と、願いは「墜落ではなく着陸」(飛行機もよくユンギのリリックに登場するモチーフ)。

Agsut D 三部作で、過去のカタルシス(怒りや不安からの解放)が昇華されたことを願うよ、ユンギ。

「Daechwita」|D-2

...と勝手なことを書きました。
「Daechwita」のここが好き、ここをこう読んだ、など聞かせていただけると嬉しいです。
ぜひコメントを、お願いします💙


〈これ聴いて♪〉



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