プライドのかわりに誇りを手に入れた、ついの先に。「The Last」| Agust D(2016年)
忘れもしない、2021年3月12日(金曜日)。
その日。
突然「BTS」の沼に落ちた新規ARMYです。
そして、クリエーターとして信用できるところ…創作者/表現者としてのミン・ユンギ|MinYoongiを推すタイプのユンギペンです。
どこか不完全で、つねに焦りを抱えていて、誰よりも、次はもっとうまくやってやろうと目を凝らして世の中を見ている。そんなミン・ユンギです。
“天才”のように言われるが、すべてが不安、準備、先回り。
周りの期待を慎重に汲み、つねに少しだけ期待を超えて相手を安心させる。
それが私のミン・ユンギです。
ミン・ユンギ
ミン・ユンギを思う時、彼が味わってきた痛みを思わないことはない。
ラッパーとして、プロデューサーとしてデビューするはずが一転「アイドル」でデビューすることを受け入れ、「アイドル」の使命を誰よりも“うまく”果たしている人。
目的のために犠牲を払える人。
犠牲ですらクリエーティブ(仕事)に昇華させられる人。
マルチタスク(マルチエモーション?)でミッションを果たせる人。
ファンや事務所、クライアントの期待値をまず測ろうとする人。
期待値の、ちょうど加減を守る人。
どんな仕事にも“美学”をしのばせられる人。
音楽で救われている人。
音楽で救おうとしている人。
そんなミン・ユンギを、推さずにはいられません。
それらの末に
ミン・ユンギが、デビュー直後に対人恐怖症(うつ症状)を患っていたことはファンの間では知られていること。
練習生だった時、こっそりアルバイトをしていた最中にバイク事故で肩を痛めたことも。
どれも、この「The Last」で歌われている。
“それらの末に”、失ったこと、手に入れたこと。
「アイドル」として売り出されたことで、自分の本心を隠さなければならなかったこと、ビジネスに巻き取られただの音楽好きではいられなかったこと、そんなことが彼をむしばんでいった。
あれだけ(曖昧だが確実な)自信に満ちていたはずなのに。
「アイドルになること」はミン・ユンギからプライドを削り取ったが、「アイドルであること」がミン・ユンギの「誇り」になった。
「誇れるアイドルの姿」を形づくれたのは、ミン・ユンギとBTSのメンバーの努力や葛藤、素晴らしいパフォーマンスがあったからだろうし、それになによりファン(アミ)の貢献があってのこと。
そして、
腕時計は、SEIKOからROLEXへ。
ステージは、AXホール(キャパ:1,000-2,500)から蚕室総合運動場(キャパ:20,000)へ。
さらに、高尺スカイドーム、東京ドーム、Wembley Stadium(イギリス)、Citi Field(アメリカ)、グラミー賞のステージ、国連本部、ホワイトハウスにまで…。
「Agust D」のペルソナ(ミン・ユンギの、SUGAとは別のペルソナ)で発表してきた「Agust D(2016年)」「D-2(2020年)」を、2021年にBTSを知った新規として聞いた身には、
ユンギヤ、もうそんなに怒らなくてもいいよ。
十分うまくやったよ(うまくなんてレベルじゃないよ)。
肩の荷を降ろして、作りたかった音楽を作って。
と、そんな思いがあります。
また、同時に彼が苦しんだ時期に粉骨サポートをし、今の居場所を用意してくれたアミ先輩方の存在も思う。
ミン・ユンギの誇りになってくれてありがとう。
ミン・ユンギに素晴らしい景色を見せてくれてありがとう。
新規としては、ミン・ユンギの苦悩の時期を、オンタイムで見ていないという負い目はあるが、その時間を乗り越えてくれたから出会えたという幸運の方に感謝したい。
ありがとう。
「The Last」| Agust D(2016年)
「The Last」のその先
この部分が「Magic Shop( 2018年|LOVE YOURSELF 轉 'Tear')」で展開されている。
そして「Magic Shop」でミンユンギは続けて歌う。
何のために成功をしたかったのか、何を音楽で目指すのか…。
「プライド」と入れ替えに感じた「誇り」は、音楽活動をする意義に。
自分のための音楽から、聴く人のための音楽へ。
ミン・ユンギ。
「恨(ハン)」の澱を洗い流せていたらいいな。
...と勝手なことを書きました。
「The Last」のここが好き、ここをこう読んだ、など聞かせていただけると嬉しいです。
ぜひコメントを、お願いします💙