冬あたたかいときは雨
雪が降るたび不思議に思う。
例えば隣り合うA市とB市。積雪40cmと60cmの境目は。或いはB市とC市。降り始めの午前2時と午前4時、時間差が生んだはずの境目はどこにあるのだろう。どうして何処もかしこも均等に積もるのだろう。朝焼けが溶かした雪水が、積雪レースの平等性を崩してしまうことはないのだろうか。ほんの少しだけ、と誰かが真夜中にこっそり切ったバウムクーヘンのように、階段状になっている雪の断面図を見て感嘆の声を上げた人はいなかったのだろうか。
干ばつで海が干からびてしまったとき、それを嘆いた人たちの涙が水たまりを作り、残った塩のかたまりと雪解け水でどうにか海を再発行した経過がある。涙の配分は住民登録地を基準に行われたものだから、これじゃあ過疎地と人口密集地では不平等だと不平不満が爆発。雪崩のように流れ込んできたクレームに辟易した神様は、境界の仔細を非公開にした。天気予報にもゼンリンの地図にも載っていた積雪の境目を知るすべは失われてしまった。当時ヘルプデスクでアルバイトをしていた知人からのタレコミ。
天国までの通勤手当は上限10万らしい。全知全能を称しながら全額支給じゃないなんて、神様もちょっとケチだ。ただ、多いのか少ないのかはよく分からない。どこからを天国と称するかで変わってくるので、ああ、ここでも境界線がものを言うというわけ。地上と天国の境界線。在宅でじゅうぶんだよな、と思ったものの、通信料と比較したらどちらの費用がかさむんだろうか。安いほうを取っての現地勤務だったのかもしれない。天国にも経営難という概念がある可能性が、少し愉快だった。
またとあるアルバイトの証言によると、景気が良いと(天国の景気の良さって何だろう。善人が多く訪れることを指すのならば、善人がたくさん死ぬと”良いこと”になってしまう)豪雪になる。来年は豪雪の見込みらしい。札束の代わりに雪の結晶が降って喜ぶ人が良い、と神様がぼやくのを聞いた。やはり経営難なんだろうか。降り積もった結晶がすべてを覆い隠してすべてを白紙にしてくれるのなら、札束だって価値が薄れるに違いない。雪解け水で薄まったかつての海水のように。
情報を閉じても広がるのが噂というもので、雪の口にも戸は建てられない。しかし途絶えるのも一瞬だった。なんてことはない、神様に袖の下を渡された人たちは、そそくさと口を閉じていた。寒いときは誰だって口を閉じたくなるよと尤もらしいことを言いながら。
口止め料は一生雪が降らないことを約束された土地。その茶褐色の面積は年々増えている。すべての土地が神様との賃貸借契約を終えたら、地球は雨だけが降る惑星になり、干ばつは杞憂へ。神様による長期計画の完遂は、意外とすぐそこかもしれない。
雪が降るたび不思議に思う。
冬と春の境が失われつつある3月の世界の立ち位置を。春という名のあたたかい冬を。今はもう見えない均された境界線が、冬のあわいを辿る夢を見る。
お題をお借りしました。