1:59:40 歴史がつくられた日
この記事では2019年10月12日に終えた、マラソン選手のエリウド・キプチョゲ 選手がフルマラソンの2時間切りを目指すプロジェクトであるINEOS159 challengeについて書いています。僕自身このプロジェクトをずっと応援してきたので、プロジェクトの結果と印象に残ったことなどを交えつつ、レポートしたいと思います。
INEOS159 challengeの概要はこちらにまとめています。
1:59:40
2019年10月12日(土)、男子マラソン現世界記録保持者であるケニアのEliud Kipchoge(エリウド・キプチョゲ )選手が42.195kmを1時間59分40秒で走りきり、2時間の壁を突破した。このレースは2時間切りのために用意された一つのイベントであり、記録は非公認であるものの、不可能と思われていた壁を突破しマラソン界に新たな歴史が刻まれた。
5kmごとのラップタイムは以下の通り。1kmを2分50秒、時速21kmという驚異的なペースを最初から最後まで完璧に刻み続けた。
出典:https://www.ineos159challenge.com/
終始、非常に落ち着いて集中してレースを進めていた。42.195kmを走るのにこのペースがいかに速く、難しいかはキプチョゲ 選手自身がよく知っていただろう。彼は2年前にも同様にフルマラソンの2時間切りを目指したBreaking 2 projectに挑戦したが、後半に徐々に失速し、2時間切りはならなかったからだ。
それでも、その時の記録は2時間0分25秒。この記録も驚異的で、当時の多くの人たちに衝撃を与えたことは確かである。ただ同時に2時間の壁が存在することも示唆された。いかに万全のサポート、環境を整えたとしてもやはり42kmを走り切るには2時間切りのペースは難しかったということだ。
しかし彼はそれから進化を続け、公認レースである2018年ベルリンマラソンでは2時間1分39秒という世界記録を樹立した。2019年は4月のロンドンマラソンで完勝し、そして10月、2時間切りへ再挑戦し見事達成した。
御膳立てされた環境の中で、完璧に走りきることの凄さ
今回のレースは完璧なレースとなった。あまりにも冷静に走るキプチョゲ 選手をみて、その驚異的なペースを忘れてしまうほどだった。
今回の2時間切りについてネガティブな意見もある。それは「通常のレースにはない、万全のサポートを受けての記録である」というもの。今回のレースはキプチョゲ 選手のために用意され、彼が最も走りやすい環境や条件を整えた。また特にナイキの新型シューズの効果は大きかっただろう。
これらのことから、今回の記録を素直に喜べないという見方もある。
しかしキプチョゲ 選手が見せた凄さは2時間切りという記録だけではないと私は思う。
どのレベルのランナーにとってもフルマラソンを自己ベスト、もしくはそれを更新するペースで走ることがどれだけ難しいことか。トップ選手であっても思い通りの走りができないことは多々あるし、完走できないこともある。
確かに今回のレースは通常の環境ではなく、様々な手厚いサポートがありキプチョゲ選手のために整えられた環境であったし、ナイキの最新の厚底シューズはよりキプチョゲ選手を後押ししただろう。
しかし限界と思われたスピードで42.195kmを公言通り完璧に走りきったことは、彼の弛まない努力と強い精神力によってもたらされたことは間違いないし、人間の限界に挑戦するその姿に人々は勇気を貰ったはずである。
歴史をつくった"人たち"
下の写真を見てわかるように、キプチョゲ選手は多くのペースメーカーと走り、前を行く先導車から投影されたグリーンラインによりペースメイクされ、周りに自転車で着くスタッフから定期的に水分・エネルギー補給ボトルと様々な指示を貰い、沿道には多くの観客が駆けつけ、その映像は全世界に中継された。
キプチョゲ選手の快挙は様々な人たちのサポートがあり成し得たと言える。ペースメーカーには世界トップクラスの41人が選抜され、計算された陣形を組み、代わる代わるペースメイクした。その中には日本人で唯一、旭化成の村山絋太選手もいた。
出典:https://www.ineos159challenge.com/
ランナーだけではない。キプチョゲ選手の生涯のコーチであるPatrick Sang氏をはじめとするランニングチームのチームメイトやスタッフ、キプチョゲ選手の家族、INEOS社の人たち、先導電気自動車のクルーズシステムを開発する人たち、シューズやウエアを開発する人たち、報道・広報の人たち、向かい入れてくれたウィーンの人たち、応援していた全ての人たち。
このプロジェクトに関わった全ての人たちが、2時間切りという一つの大きな目標に向かってそれぞれのやるべきことを行なった結果、目標を達成できたのだと思う。
その意味で今回のINEOS 159 Challengeは非常に分かりやすいプロジェクトマネジメントの形だと思う。Eliud Kipchogeが人類で初めて2時間切りを達成した日は、多くの人たちの手によってつくられた新しい人類の歴史でもあるのだ。
挑戦とプレッシャー
挑戦には不安はつきものだ。また多くのサポートを受ける一方で、周りの期待が高まるにつれて、それは多くの場合プレッシャーに変わる。
今回の挑戦でキプチョゲ選手にのしかかるプレッシャーは計り知れない。全ての人たちが自分のために動いてくれることは、ありがたいが本番での失敗は許されない。まして今回は2回目の挑戦でもあった。
キプチョゲ選手の心情は実際のところどうだったのか?
彼は前日の記者会見でもいつもと変わらず終始落ち着いていた。会見で様々な質問に答える中で「プレッシャーは感じているが、できる限り冷静でいたい」と話していた。その言葉の通り、レース本番も常に冷静で集中していた。また会見の中でこうも語っていた。
“You cannot be physical fit without being mentally fit, if your mind is there then you will be well.”
つまり精神的な強さなしに良好な身体的パフォーマンスを得ることはできないということだ。
彼は特にメンタルの重要性をよく訴えてきた。身体と心は一体であると。そしてその精神的強さこそがキプチョゲ選手を最も特徴付ける強さの一つなのではないかと思う。
No Human is Limited
2時間切りが達成されたことで、我々のマラソンに対する意識はまた次のステージへと向けられただろう。
記録とは不思議なもので、誰かが更新するとそれに続くように記録が出始める。そこには、やはり人が勝手につくってしまう心理的な壁があるのかもしれない。
そして2019年10月12日、2時間の壁は破られた。キプチョゲ選手をはじめ、これから世界のマラソンランナーがどのような世界を見せてくれるのか、本当に楽しみだ。
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YouTubeのINEOS1:59公式チャンネルではフルレースが見れますのでぜひご覧ください。